記憶、沸騰から解熱、そして姿勢を変える

記憶、沸騰から解熱、そして姿勢を変える

2019.08.10-08.23 東京・福島(郡山)

まとまった枚数の新作を書きあげ、連載の『木木木木木木 おおきな森』も前進させ、帰省し、「MONKEY」誌に連載している『百の耳の都市』の第3回も書き、さらに『木木木木木木』の最終回およびプレ最終回の執筆に向かうため、過去に掲載された分の誌面+最新ゲラを携えて某所に籠もった。それは正確に44時間の没入だった。都内に宿をとったのだが、その界隈に私は1980年代後半に数年間暮らしていた。そして、驚いた。私が暮らしていた地域がまさに丸ごと再開発されていて、地形まで変わっていた。道路は新規に敷かれていたし、また拡張されていた。

何もない、と私は思った。過去が、何もここにはないのだ。呆然とした。こんなふうに俺の過去は消えるのか、住居表示そのものが「そんな番地はない」と俺を拒絶するのか、と。その頃、私は19歳だったり22歳だったりしたわけだが、暮らした建物がないどころではない、という事態に、やはり強烈なショックを受けた。「地形が変わっ」たと記したが、本当に大地の起伏が均されてしまっていて、要するに、地面に立つと、視界(視線)の高さが変わってしまっていて、その点だけでも「別物」だ。

しかし、歎いたのは数時間で、じき慣れた。それから、歓迎した。人間は赤ん坊から大人へと成長する過程で、視線の基準の高さを変えるが、あとは一定になるか、背骨が曲がって下がるかする。そうではない形で変化した、ということを、俺は成長できたと捉えよう、と私は思った。いろんなことを前向きに捉えよう、と思ったのだとも言い直せる。どうせ放っておけば世界は変容するのだし、私たちはみな老いるのだし、いずれ死ぬ。だとしたら、対峙の姿勢を変えてしまうほうがよい。「よう、お前、歓迎してやるぜ」と。

おととしの秋、掌篇集の『非常出口の音楽』をリリースした際、書評家・ライターの瀧井朝世さんからインタビューを受けた。瀧井さんはこの掌篇集をとても気に入ってくれて、「もっとこういう本を出してほしい」とまで言ってくれた。取材後、ずっと雑談をしていたのだけれども、私が「こういう小さなお話のアイディアみたいなのは、しょっちゅう頭に浮かんでしまっていて、でも書いている時間的な余裕がないものだから、結構しょっちゅう棄てている」と告白したら、唖然とされ、「だめですよ、ネタ、とっておきましょうよ。棄てないで!」と言われた。そのことはずっと頭に残っていて、そういうのもあって、今年6月から、このサイト(のまさにこの「古川日出男の現在地」のコーナー)に書いて載せることにした。可能であれば、とひと言付さねばならないのは当然だが、「【400字以内小説】」として執筆・発表しつづけようと思う。要するに、いまの私は思うのだ。ネタたちに関しても、私は「よう、お前、歓迎してやるぜ」と言えるようにしたい、なりたい、と。小さな小さな物語たちを、本気で歓迎するのだ、ということ。