絶賛「捨て身」中

絶賛「捨て身」中

2019.08.24-09.13 東京・岩手(花巻)・北海道(白老)

この3週間には報告の要ることが山ほどある。私は山ほど働いた。それらがいわゆる労働かどうか、はさておき、私はひたすら書き、さまざまに移動し、長時間にわたって読んだ。が、まず挙げなければならないのは、やはり新作『曼陀羅華X 1994−2003』が発表されたことだろう。文芸誌「新潮」に一挙に載った。私は、ここ(「古川日出男の現在地」)でも6月下旬に書いたことだが、いちど、この作品は断念した。起筆の前に「無理だ」と諦めた、ということだ。どうしてそこまで追いつめられたかは、この『曼陀羅華X』が何を題材にしているか、が明らかになったいまならば、想像してもらえるかもしれない。これは、私が書かなければならないことであり、しかし、私には重すぎる。そして、重すぎるから、血を流しても書こう、と決めたのだった。あの6月24日の断念、それから6月26日の再起動、その時点でタイトルは変わっていたということ。つまり、『曼陀羅華X』は、その時までは違うタイトルであった/あるはずだったのに、それから2カ月半後には、この題名で産み落とされた。この世に。

産んだものの責任を負いたい。できれば闘いを続けたい。タイトルを見てもらえばわかるが、『曼陀羅華X 1994−2003』であるということは、2003、の後もありうる、ということだ。構想はある。もちろん、ある。そして、それは私が私なりに「日本」を「撃とう」という行為だし、決意だし、それが「時代」に必要なのだ、とも感じている。いや、私が言いたいのは、「私(古川日出男)が時代に必要だ」ではない。文学が、だ。もう終わってしまいそうな文学が、きちんと「撃とう」とする装置として、まだ存在を保てること。それが可能なのかどうかを、私は試す。11月にはもう、死闘の続篇に入るのだろう。私は。仕事場で。しかし、それまでは。

まずは「群像」誌での連載が最終段階に入った『木木木木木木 おおきな森』だ。来月発売号用の原稿は、すでに入稿して、ゲラも出ている。もちろんだ。なぜならば、最終回は巨篇だから。私は9月30日までに、それをやる。あと少しで、この小説を執筆する以外の仕事が全部片付く。まあ9月15日の夜まではかかるかもしれないが。しかし、だとしても、その翌朝からは、私はやるのだ。私は、あれらの森に、森の天体に、あるいは文学の星に、ただただダイブするのだ。それは、もちろん、孤独な戦闘である。しかし、誰かはそばにいるのだと信じる。誰かの念は送られているのだと信じる。そして、それから。

孤独ではない戦闘に感謝する。岩手と、北海道での朗読セッションに。ASIAN KUNG-FU GENERATION の後藤正文(ゴッチ)さんとのセッションは、Turntable Film の井上陽介さんの強力なサポートを得て、それぞれすばらしい会場で、すばらしいオーディエンスを前に、まるっきり「違うステージ」として起ちあがった。岩手・花巻の「イーハトーブフェスティバル」で考えていたのは、『銀河鉄道の夜』を2段階3段階とリミックスさせて、100年前の花巻とその日の花巻をつなげる、ということだった。そして、ベックの『Loser』という名曲を、賢治の「雨ニモマケズ」の援軍にする、ということだった。達成できた。1時間を超えるステージだった。また、北海道・白老の「TOBIU CAMP」では、これはゴッチがそう望んでくれたからなのだが、拙著『ミライミライ』を読むことになった。北海道の小説を、北海道の、アイヌ文化をも前景化させたオールナイト・イベント内で、朗読する。それも森のただなかで、朗読する。ゴッチは、「いっそニップノップが、その夜、産めたらとも思うんです」と事前に私に言った。この言葉を聞いた時には私は震えたのだが、そして、その晩には緊張もしていたのだが、やはり1時間を超えてしまうステージができた。私のマイクの脇の譜面台に「時間(オーバー)です!」との紙が置かれるほど、私/私たちは集中した。地面からたち昇る力を感じた。北海道だ、と私は思ったのだった。

報告したいことは、冒頭にも記したように、まだまだあるのだけれども、しかし、ひとまず筆は擱こう。なぜならば、ここから9月30日まで、そう、あと8万字ほどは私は小説を叩き出さなければならないのだから。