つぎの地平に出る

つぎの地平に出る

2019.09.28-10.11 東京・福島(福島市)・茨城(水戸)

私は連載小説『木木木木木木 おおきな森』を脱稿した。起筆が、おととしの8月だった。総枚数は、まだ連載原稿のファイルをまとめていないので、正確にはわからない。しかし巨篇になったのだ、とはわかる。2008年の『聖家族』、また2001年の『アラビアの夜の種族』に続いて、3番めに長いもの、になるだろう。完成したが、もちろん最終回(200枚ある)のゲラの作業はこれからで、単行本のゲラはたぶん年内にいちど、年が明けてからもういちど丁寧に見るから、本になるのは来春以降だ。たぶん初夏だ。そこまで私はまだまだ『木木木木木木』とは付き合いつづけるのだが、脱稿翌朝の「寂しさ」は強烈なものだった。

このことは担当編集者にも話していないので、ここで綴るのはどうかという思いもあるのだが、しかし書く。私は、『木木木木木木』のエンディングの、最後の5行か6行を書き出したところで、むせびはじめていた。私は、こんなふうに、この作品に、この作品の登場人物に、救済を与えられるとは思っていなかった。私は、嗚咽するというか、最終的にはほぼ号泣していたのだけれども、しかし文章は推敲に推敲を重ねていて、そこから数十分間、読点の位置を直したり、接続詞を書き換え、入れ替えたりしながら、さらに1行、もう1行と進んだ。私は、とにかく、自分が泣いてしまうなどという予想はなかった。予感もなかった。しかし、ふり返るとわかる。『木木木木木木』は、森と海の話であって、それも消滅した海の話であって、最終的に、この物語は「塩水」が捧げられることを求めていたのだ、と。つまり、私は捧げた。私は仕事場に、その時、本物の海を作らんとしていた。そうした事実は、たぶん、誇ってよいのだろう。

この小説を文芸誌「群像」に連載するに当たって、ずっと幸福な環境を与えてもらっていた。長い小説が書けること、それを定期的に発表できること、そして本として出版できること、こうしたこと自体が、現状にあっては文学の希望なのだと思う。それすら「無理なので……」とか「すみません……ご遠慮ください……」とか「近頃の出版状況に照らすと……」と言われたら、何かが終わってしまう。やる前にあきらめろ、と言われたら、誰も書かない、書けない、そして、読まない。私は、シンプルに願うのだけれども、読ませたい。

時おり、好きなことをして生きていられるからいいですね、と人に言われることがある。私は、その瞬間はニコニコと応じている。しかし内心では「そうではないですよ」と愕然としつつ答えている。執筆はつねに苦しい。朝の6時台から夜の10時台まで「小説のことしか考えてはならない」と命じられているような、いわば奴隷的な状況は、本当に苛烈を極める。ただし、私はそれに夢中になれる。私に言えることは、私は夢中になれることをしているんです、のひと言だ。そして、私ごときに「夢中」になれるものがあるのならば、他の誰かだって「夢中」になれる、そうしたら、何かが愉しい世界になる、愉楽のある世界になるから、私はやっているのですよ、と展開する。誰も「夢中」になれるものを持っていない世界など、たとえば日本など、私は好きではない。