お膳立てのない地平から

お膳立てのない地平から

2020.03.14-2020.03.27 東京

あまりにも世界が、日本が騒然としているから、私は今回は明るいことと無謀なまでに前向きなことだけを書こうとしたのだが、しかし、ひとつだけ提言する。どうして新型コロナウイルスの感染状況の用語を、カタカナ語にするな、だの、いやカタカナ語のほうが速やかに(世界規模で、世界じゅうの医療界と)情報共有できる、だのと騒いでいるのだ? 「感染爆発」にオーバーシュートとルビを振り、「都市封鎖」にロックダウンと振り仮名をつける。そういう字幕スーパーをテレビ画面などで付す/流すことで、全部さっさと解決するではないか? いまこそルビの出番だというのに、この国の政治と教育は何をやっているのだろう。概念すなわち意味を伝えるのが漢字部分だ。言葉の速度・音を優先するのがカタカナ部分だ。なぜ、それができない?

来月下旬発売の『木木木木木木 おおきな森』は、その装幀の全体像が完成(ルビ:アップ)した。ただただ……とんでもない。担当編集者が『聖家族』と『南無ロックンロール二十一部経』と『おおきな森』(装幀の初校を巻いた見本)を並べた写真を送ってくれたのだが、その2冊のメガノベルを超える存在感となった。メガノベル改め、ギガノベルである。と、これも担当編集者が命名した。私の読者が、ネット世界のどこかで、そのように素晴らしい宣言をしてくれていたことから、らしい。その彼/彼女に感謝する。ありがとう。ギガサンクス。ひと言でいえば、『おおきな森』は、この1冊が書棚にあるだけで「神々しさが本棚にそなわる」1冊である。嘘は言わない。来月、確認してほしい。そして、デザイナーの水戸部さんはじめ、担当編集者、部署、版元の一切の妥協のなさが、「手を抜かない」形で「本にする」ことを実現してくれた。そのぶん値も張る。……張るのだが、もちろん「買えない」値段の設定ではない。この『おおきな森』は、控え目に言っても私の普通の著作の3冊分が入っているのだが、もちろん3冊分の(いつもの3倍の)値段ではない。全然そうではないので、大丈夫だ。私はあなたたちの「価値」の判断力を信じる。

そして東京オリンピックだ。延期になった。だとしたら、私の「この夏の、福島県内の歩行」はやめるのか? そうはならない。私は、昨日、聖火リレーも出発しなくなった福島の、その空っぽの夏を、そこを経て東日本大震災10年を迎えねばならない福島があるからこそ、歩こうと決めた。おそらく、ここまでに準備していた支援態勢のコアは消える。うしなわれる。しかし同時に、私の周りに「手伝いたい」と言ってくれる人たちが、このひと月に何人も現われた。だから、力を借りてやろうと思う。それからまた、力を貸してくれる人たちといっしょに行動しようと思う。もはや私のプロジェクトに、一切の(他者が整えてくれる)お膳立てはない。そういうのは、この2020年の世界そのまんまだ。つまり、私はこの世界と格闘する。もっとヘルプを乞うことにはなると思う。私の腹は、さらに括られた。