刊行決行

刊行決行

2020.04.11-04.24 東京

『木木木木木木 おおきな森』は無事に刊行された。あるいは「刊行を延期する、という判断はされずに、決行された」とも言える。私のいる業種ばかりが見舞われているのでは全然ないけれども、ひどい状況だ。しかし出したし、もう手に入れたと言ってくれている人たちがいる。しかも興奮、高揚してくれている人たちがいる。私が、発売の数日前にこの『おおきな森』の見本を手にした際に、ほとんど息を呑んでしまったのと同じように、だ。

私は、いまの時代だからこそ、「これが本だ。これこそ本だ」と言える物質(モノ)を作りたかった。その意図は、デザイナーの水戸部功さんに完璧に汲まれて、コロナ禍の世界・日本に誕生したのは、こういう「これが本だ」と無言で叫ぶような、美しい1冊である。私は「……ああ、ついに森は出現したのだな。しかも木と木と木と木と木と木の連なりとなって、生まれた」と思った。そう思ったのだった。あまりに美しい。そして、あまりに乱暴に、この世界に存在している。予定調和の消失した世界には、予定調和なき本が必要だった。このようなギガノベルが必要だった。私は、著者ではあるのだけれども、できるかぎり客観的に、そう言う。そのように評する。

1点だけミスがあって、それは、本を開いた最初の、(たぶん)圧倒される(であろう)「索引形式の『目次』」に紛れ込んでいる。ページ数のほんのちょっとした間違いがある。どうしてそんなことが起きたのかと言えば、この私が最後まで粘りに粘り過ぎて、初校も直しで真っ赤にした果てに再校もやはり真っ赤にして、そういうギリギリまでの作業の結果、そこにひとつだけ数字のミスが入った。が、それはミスなのか? 私には「数の変容」と思える。この本の内容に、じつは合っているのではないかと思える。とはいえ、少しだけポジティブなことを言えば、この「数の変容」=目次のミスは、初版の『おおきな森』にしか残らない。だから、貴重だ、と思ってほしい。レアな書物として愛でてほしい。

担当編集者が、東京都内のある書店が「〈おおきな森を歩む〉フェア」を開催してくれている、と知らせてくれた。この『おおきな森』の物語=宇宙から連なる、さまざまな文学作品が並べられた棚がその書店に生まれていた(私は写真を確認した)。感激する。私は、『おおきな森』という1冊を今週ドロップすることで、この世界を、または文学を、いわば拡張するようなことをしたかった。「いずれ文学なぞ、小説なぞ終わる」と見られている世界で、しかしながら、はっきりと拡張戦(戦闘だ)に入るようなことを、仕掛けたかった。私は、たとい自分が爆裂してしまっても、自分の著作が単なる踏み台にしかならないのだとしても、それをしたかった。したかったのだ。この1冊から何かが始まること。決して絶望なんぞしないこと。

この本は、重さがほとんど1キロある。ここからは笑い話だと思って読んでもらってもよいが、Stay home の現況下、この『おおきな森』でトレーニング(筋トレだ)に励んでもらっても幸いである。蛇足としてトレーニングの話題を続けると、私はすでに報告済みであるように、昨年12月下旬から今夏に向けての肉体鍛錬に入った。そして今年3月下旬には、実際に重い荷を背負って歩行する実践に出ていて、少しずつその歩行距離をのばしている。具体的には7月中旬には、「炎天下に、荷を負って25キロ前後歩ける」身体にまで仕上げる。東京に緊急事態宣言が発令される2日前にだったが、私は、奇蹟にように昨冬のトレーニング・メニューを課してくれたスポーツ・インストラクターさんと会えて、さらにキツさを増やしたメニューも授けられた。そちらは「巣ごもり」状態でやっている。何がどうなるかはわからないが、私は、備えは怠らない。

植樹を、植樹をと思う。私(と私の著書)のためだけに思うのではない。植樹される音楽、植樹される映像、植樹される演技、植樹されるアート、植樹される料理、植樹されるケア、植樹される……ありとあらゆる《仕事》または《遊び》または《生》の、継続、あるいは新たな形態。もちろん、私はそれを思い、自分にできることは「これだけだから」と『おおきな森』を産まんとしたのだ。