食物の連鎖のこと・その他

食物の連鎖のこと・その他

2020.06.13 – 06.26 東京

トレーニングを積み重ねて、私の太腿や足首は、だいぶ細いし同時に締まって筋肉質な、つまり以前とは様相の異なるものに変わった。食事は意識的にたっぷりと摂っているので、太りはしないが、とりたてて痩せてもいない。つまり、胴部から上はぜんぜん痩せないのだけれども、下半身は徹底的にメタモルフォーゼし出した。たとえば1日に20キロ歩くことがある(今日がそうだが)。その場合、途中でステーキ系のファミレスに寄ったりもする(これは先日のことだが)。すると私が注文したのはミックスコンボというひと皿で、そこにはステーキ=牛肉とソーセージ=豚肉とグリルしたチキン=鶏肉が載っている。私は、こういうものを摂取した数時間から十数時間後の自分はほんとうにハイブリッド・アニマルだな、と思い、かつ「ハイブリッド・ヒューマンだな」とは一瞬も思わない自分に、少しだけ安堵する。私はヒューマンなどどうでもよい。神や機械に対して人類が human である、だから human errers(人為的ミス)がある、等の思考をすることがほとんどない。が、これは余談だ。

福島県内に向けて出発するまで、もう1カ月ないのだった。そして、いったんその地を踏んだら、私は毎日「現在地」を変えつづけるのだった。もしかしたら刻々と変えつづけるのだった。それはいったい、どういうことなのか? シミュレーションはしているが、予想は捨てている。必要なのは準備だ。ひとまずは20キロほどを歩いた翌日にも、普通に原稿を執筆できるような体力はついた。しかしながら、それは通常の原稿……エッセイとかそうした類いのことで、小説を書く、という行為には挑んでいない。小説は「(その物語世界・宇宙に)入る」必要があるので、どうしたって不可能だろう、と私はチャレンジする前に踏んでいる。

さて、出発までに、では私はどれだけ小説を書けるのか? それが問題だ。それこそが大問題だ。しかし、物事の暗い側面は直視しないようにする。私はやれるだけのことをやる。そして、やれる以上のことはできない。けれども、「やれるだけのこと」という枠は、いわゆる訓練を重ねればつねに増量される。その事実は信じている。

たまたまなのだが、ここのところ海外に発表する原稿その他が続いた(その他には朗読映像が含まれる。“SLOW BOAT – Last Boat Version” である)。そういえば私は、国内では新型コロナウイルスに関してまともに発言していないに等しいのだが、オンライン雑誌 Words Without Borders には直球の発言を載せた。これは4月下旬に執筆したものである。そして日本語では発表していない。というか、国内では「そういう発言」を私はぜんぜん求められていない。まあ、それはそれでよい。海外がらみの情報として、アニメーション映画『犬王』のアヌシー国際映画祭での「制作中(絶讃制作中)」部門での映像発表、というのがあった。私もその映像は見せてもらった。素晴らしい。まったくもって期待できる。この映画に関しては、もう私にはやることがないので、のんびりと来秋を待つ。