現在、ひと月前、未来

現在、ひと月前、未来

2020.08.15 – 08.28 東京

東京にいる。

このように語る私は、たぶん告白している。私はどこかから帰ったのだ、と。もちろん福島から帰った。そして、福島県内に最後にいた日から半月以上が経って、私が通過しつづけた場所・接触した方々のエリアのどこからも、「半月前が原因で感染者が出た」という報はないから、もう私は語ってよい、となる。

馬鹿げたことだ。私はしっかり準備をした。ホテルのチェックイン時には検温もあった。というか、私は自分で検温していた。マスク、マウスシールド、フェイスシールドは10も20も用意されたし、使われた。アルコール・スプレーがあった。除菌シートがあった。しかし、予約がキャンセルになるホテルもあった。「関東からの人ですよね?」と言われて、「いいえ、もう1週間以上も福島県内にいます」と伝えると、え……となる。しかし、その人たちに責任はない。

おかしな風潮に苛立つ。結局、ある人からこんな素敵な言葉をもらった。「コロナは、人と人に『接触するな』と言っている。君はだから、人に会いに行く。コロナは、世界的な高速移動でひろがり、人に『移動するな』と言っている。そして君は、福島県内を移動しつづけるつもりでいる。最高だ」と。そうなのだ、どうしてコロナの側に立って、考えないのだ? コロナの側から世界を見れば、たぶん、意識は変わる。解決策はそれからだ。

病気になった人間が、責められ、差別されるだと? 阿呆か。

しかし、それはまあ、どうでもよい。私は、7月23日から始めて8月10日に終えた旅を、やり直している。長い長い文章を書いている。人びとの声(音声データ)を聞き直している。現在が、ひと月前に重なる。その時の感動、あるいは苛立ち、あるいは恐れ、震え、涙、笑い、……何もかもが……、いまの現実に重なる。私は過去に、未来を視ている。どうとでも世界は激変すればよい。こちらは腰を数センチ落として、さらにどっしりと構えるだけだ。