結局、歩きつづけるしかない

結局、歩きつづけるしかない

2020.09.26 – 10.09 東京・福島

私のこの夏の、というか、〈歩けるための肉体〉を作るトレーニングは昨年暮れから始めていたから、丸8カ月ほどの試みは、文芸誌「群像」に巻頭一挙掲載となった。思えば〈ルポルタージュ〉と銘打たれて長い文章が発表されることは初である。この数年間、私の作業は、小説と戯曲、批評、その他とどんどん混沌の度を深めていったが、それは意識的だ。はたして「物を書くことしかしていない」人間が、どれだけの「書かれる物」を示せるのか? 私には言葉しかツールがない、という現実をほとんど生来の条件として受容し、そのうえで、やれるだけのことをやる、と決意をしたのは、いつだったか。

しかし、その〈言葉〉というものも私の肉体から発する。だとしたら、肉体をまるごと持ち込む作業も、私には文学である。これは詭弁ではない。だからこそ私は、だいぶ前から朗読に力を注いできたのだし、それがある種の文学的な表現として認められた(認められもした)のだろう。そして、今回の4号線と6号線の福島県内区間を踏破するというアクションにおいては、私の肉体から〈言葉〉は当然発するのだけれども、他者の肉体からも同じように〈言葉〉が発せられていて、それを全力で受け止める、ということをした。つまり、私の鼓膜を振るえさせて、取材相手のお話を傾聴し、レスポンスを返す時は、私の声帯を振るえさせた。私は、私という人間のその肉体の輪郭を、ギリギリまで研ぎ澄ませた、のだとは言える。

この「現在地」に幾度も書いたことだが、たくさんの方々の協力があった。それを踏まえて、私は行動できた。「群像」最新号に掲載の『4号線と6号線と』には書き切れない取材の現場もあって、それに関しては、後日ふたたび文章化の作業に挑む。先に予告しておくが、私のこれら一連の作業は、今月発表の長文ルポで終わるわけではない。来月後半から再来月、また挑む事柄がある。そして、再来月から年明けまで、さらにその先まで、私は自らの肉体から〈言葉〉を出して、自らの思想を鍛えて、活字になるものにまとめるはずだ。

もちろん、私はその作業だけをやっているのではないから、時間というのはつねに足らない。じつはこの2週間は中篇小説の執筆に没頭した。それから日帰りで福島に行き、また次のプロジェクト(これに関してはいまは何も語れない。ぽしゃる可能性もある)と連載小説とに、没頭し直さんとしている。いつもいつも「そろそろおれは限界だな」と思うのだが、正直言って、「おれが限界になってこの世から消えても、別に誰も困らないな」と感じるし、そういうのはほんの少しだけ、気持ちがいいものではない。だから、書き、行動し、そこに限界があるのならば超える、という姿勢を貫徹する。結局、メタフォリカルにも現実的にも私は歩きつづけるしかない。時おりは寂しい。だが。それでも。

それでも、というのは、たとえば「群像」最新号の私のルポの扉に、写真が4枚配されているけれども、その左下のものは、私が人生でいちばん知っているはずの姉弟で、それはつまり、私の姉と私だ。その、ボけてしまっている写真(私が撮影した。メタに「写真」を被写体にしたのだ)の、4歳なのか5歳なのかもわからない男児の私は、本当にニコニコと首をちょっと斜めにしながら笑っていた。その笑顔に、どうにか応えたいのだ。私は、いまは泣いてしまっているような人たちに、どうにか応えたいのだ。

〈言葉〉だけでそれができないものだろうか、と思っているのだ。念じているのだ。