さらなる無謀へ向けて、跳ぶ

さらなる無謀へ向けて、跳ぶ

2020.10.10 – 10.23 東京

夏の19日間の福島から戻って以来、自分はあまり外には出ないで執筆を続けている、という気持ちでいたのだが、この2週間は不思議な時の過ごし方をした。ZOOMイベントで地球の他の時間帯にいる人たちと共演して、自宅のリビングから言葉を発するだの、深夜にラジオ局に行って生放送の対話をするだの、新聞社から『砂の王』という、自分のキャリアの前世・あるいは前ビッグバンの地点/時点に位置している大切な本の話をしてほしいと取材を申し込まれるだの(そして受諾して語るだの)、それらはどれも「いま、ここ」とはいつの、どこなのだろう? と考え込まされる経験だった。しかし、いずれも充実していた。

執筆に関しては、ふたつの大きな飛躍があった。来月は三島由紀夫の没後50年めとなるわけだが、そこに関係する中篇小説がゲラまで確認し終えた。この小説は、100枚ある。来月、某誌に発表される。私は三島に敬意を表したかったので、単なる小説は書かなかった。それは小説なのだけれども、その小説の内側に〈小説〉〈戯曲〉〈評論〉が全部入る。いわば「一人三島由紀夫特集」というのを勝手に雑誌に供した、とは言える。〈小説〉〈戯曲〉〈評論〉の三位一体だ、とも強引には言える。それは三島の〈三〉の字に掛けたことだ、とまでは言わないが、けれども結果としてそうなったのかもしれない。

そして、もうひとつの飛躍。ずっと書きつづけてきた連載小説で、私は「はたしてお前は、正しい軌道にこの小説を導けているのか?」との問いに、じつは8月以来、ぶち当たっていた。答えを出さなければならない、と思った。そして、今日、出した。もう少し軌道を間違っていたら、このまま物語(という車輛)は脱線して、私はその小説を未完に終わらせるところだった。が、どうにか、その手前でブレーキは掛けられた。私はじつは『曼陀羅華X 2004』の話をしている。この夏に福島に入り、19日間考えつづけて、「東日本大震災と『現代』の距離」ということを思った。すると、それは「オウム真理教事件と『現代』の距離」と同じ様相を呈している、との真実に、気づかされてしまった。つまり。

世間は、後者の事件を「忘れること」によって抹殺した。実際に大量の死刑執行もした。なのであれば、東日本大震災もまた抹殺される。するのは世間だ。私は、『曼陀羅華X 2004』の軌道を誤ることによって、結局は〈東日本大震災を忘れる〉態度に与していた。私はここから、考える。考え直す。あと2、3日経ったら、某所に籠もる予定だ。短期間だが籠もって、熟慮に入る。いったい、一度どうにか救済した小説(それは『曼陀羅華X 1994—2003』だった)を、さらに救済し直すことは可能か、と。

10月22日に「いじめ過去最多・生徒ら317人が自殺」との報道に触れた。いじめによる自死、というのが問題視され出した(あるいは徹底的に顕在化した)のは、1990年代半ばだったように記憶している。そこから、あらゆる解決策が模索されつづけてきたのだとは思うが、もっと酷いことになっている。「(子供たちの)出口が自死しかない」という国は、いったいなんなのだろう? クリーンな解決策を模索しようとするから、闇に対峙できないのだよ、とは私は言える。そのことと、原発事故がどこか(とは福島に代表される地域だが)を汚染した、だから解決策は……どうしたらクリーンになるのか……大地の除染は、そして原発からの汚染水は……と騒ぐ局面は、じつのところ一直線に結べる。私はたぶん、答えには近づきつつある。しかし、それを他人に説けるだけの力が(言葉の力が、人間としての力が)まだ足らない。

そもそも、誰も答えなど要らないのかもしれないのだ。だが、もう25年間も、この国はあまりにもこの国だ。だから私は、私のために(ためにも)答えを追い求めてみる。