空無に向き合うということ

空無に向き合うということ

2020.10.24 – 11.13 東京・福島

前回の「現在地」の執筆後、相当にシリアスな時期を過ごした。10月26日から3日間、某所に籠もって連載小説『曼陀羅華X』の過去の全部の原稿と対峙している時間は有意義だった(しクリエイティブだった)。が、そこからだ。実際に『曼陀羅華X』の新章と呼べるものを書き出してから、具体的には1週間=7日のうちの5日間は私には恐怖しかなかった。ほとんどデビュー当時の「小説って、どうやったら書き進められるのか?」状態に戻ったのに等しかった。もう駄目なのだろうか、と何度も何度も思った。じつは、いまも少しはそう思っている。あまりにも執筆が過酷すぎて、そこから生じる〈孤独〉の感情にメンタルをやられた。自分の居場所がこの世にあるとは思えない、と感じてしまう。

が、それは1週間のうちの5日間のことで、残りの2日間は、そうではない時間を生きられた。母親の1周忌があり福島に戻ったが、たとえば甥の娘と2時間や3時間を密に過ごすだけでも、本当に心を癒やされた。いったい私は何を絶望しているのだろうと思ってしまう。私はもちろん、「自分が何に絶望(恐怖)しているか」は理解していて、たぶん、それは空無としか名づけようのないものだ。小説の執筆は独りである、という現実に、「それはイコール〈孤独〉だということだよ」と言われてしまった。私はほとんど愕然とし、私はほとんど蒼褪めた。が、それでも、たとえば他のプロジェクトで共同作業をすることで、私はふっと魔の領域から戻る。前々回の「現在地」でまだ何も語れない企画と語ったプロジェクトは、最初のハードル・クリアに向かって前進している。組んでいるのは2人のアメリカ人である。そういう共同作業をしていると、「あ、俺はモノを創ればいいんだ」と当たり前のスタート・ラインに帰れる。

それから、これもなぜだかアメリカ人なのだが、しかし日本在住の知人が映画の監督・脚本をやることになって、どうしてだか私に声がかかった。1場面の出演の、だった。「古川さんにぴったりの役なんです」と言われたので引き受けた。現場は、やっぱり楽しかった。私は私という文筆家以外のプロの職種の人たちを見ると、素直に興奮する。女優の方とゆっくり話せたり、映画の演技ってどんなチューニングが要るんだろうなと真剣に考察したりしていると、『曼陀羅華X』の執筆で極度に追いつめられた精神もマッサージされた。それにしても映画に役者として出るというのは34年ぶりだった。

他にもいいことはいっぱいあった。たとえばやはり文芸誌「群像」に発表した『金閣』だ。その仕上がりのレイアウトに興奮した。この作品は、序破急の3つの展開の後、その創作の裏側を指すところの「舞台裏」パートに突入するのだが、この舞台裏では(というか舞台裏でこそ)演劇世界が展開して、誌面には戯曲が載る。その戯曲が「まさに戯曲ですよ」の体裁で立ち上がっていて、私は「この『金閣』という作品は暴れん坊だなあ。三島だってニヤニヤするだろうなあ」と嬉しくなる。私はそういうことがしたかったし、私にはそういうことを実現させてくれる理解者たちがいる。

それで、やはり『曼陀羅華X』のことだ。この小説は極限の領域に入った。それがどのような次元の、どのような事象に落とし込まれることなのかは、来月7日に発売される文芸誌「新潮」の、掲載ページの最初の2行だの3行だので、もう明らかになる。たぶん、そこでの私の宣言はある人たちを唖然とさせるだろうし、もしかしたら戦慄もさせる。だが、やるしかないのだ。逃げるという選択は私にはないのだ。あるいは、これでも駄目だったら、私はこの小説を未完にするのだろう。極限に挑んでいるというのは、そういうことである。

そしてその闘い(の序章)からひとまず現実世界に戻れたら、私は再度、福島とその隣接県に向かう。私はまた歩いてみる予定だ。ほんの50キロほどだが。