旧世界にかぶさって新世界

旧世界にかぶさって新世界

2021.11.13 – 2021.11.26 東京

「新しい環境に移って、その後、その作家(古川)はずっと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」となれたら最高なのだが、そうはならないのが人生なのであって、前回のこの連載「現在地」からちょうど2週間が経ち、その間、私は2度、ちょっと倒れかけるというか起きあがれそうもない状態に近づいた。べつに熱が出たわけでもないし原因不明の痛みに襲われたわけでもない。が、夜の9時を過ぎるともう目を覚ましているのが不可能なほどの〈疲弊〉にやられて、事実ベッドにブッ倒れていった。いろんな意味で限界は来た。……というのは若干嘘で、限界は来かけた。この2夜をどうにか乗りきると、以後は、ありがたいことに予定をそこそこスケジュールどおりに消化することは叶った。いちばんうれしいのは着手した戯曲を脱稿に至らせたことである。やった!(と自分に向かってクラッカーを鳴らす)

小説家となってからの初長篇戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』に蜷川幸雄さんからの依頼(!)で着手した際に、私は、ひそかに決意していたことがある。「ここからの10年間の作家人生で、自分は、3本の戯曲を書きたい(ものにしたい)」というのがそれだ。その依頼は2011年6月下旬のことで、あっ……そう考えたら、10年と5カ月が経ってしまった……。半年弱、オーバーじゃん。と悲しい気持ちにもなったがそこはサバを読む。今度の戯曲は、登場するのは4人に絞る、というミニマムな制約にあえてチャレンジした。そのハードルを越えられたことは、文学的ハードラーとして、なんか自慢できるというかニヤニヤできる。やれた!(とクラッカーの2個めを鳴らす)

活字として発表できる時期はまだ定まっておらず、だから、この「現在地」という場でこんなにひとりで喜んでいていいのか、じゃっかん眉間にシワなのだけれども、まあそのうち決まります。いわゆる「演劇的」な活動については、なんだか急に周囲でウニョウニョッと動きがあって、そのことは、うれしい。なぜならば小説執筆はあまりに〈孤独〉な作業すぎるから。いっぽうで〈集団〉が前提の舞台芸術的な世界は、これとはまるっきり違う景色を私に見せてくれる。よって、それを渇望することはごく自然なことだなあと自分で思うし、無理をしていない自分自身が、「きみ、いやあ、大人になったね」と褒めたい〈対象〉のようにも見えてくる(とは言っても、ほんのちょっとね)。

というわけで〈集団〉とか〈共同作業〉みたいな、自分がらみだったり自分がらみとちょこっと離れていたりする話を続けると、マシュー・チョジックさん監督の映画『トシエ・ザ・ニヒリスト』(私もサラリと出演)は、今度は香港国際短編映画祭2021にて最優秀新人監督賞を受賞し、予告篇も制作された。とても喜ばしいことです。それから、私の現代語訳がベースとなっているTVアニメ・シリーズ『平家物語』は、先行配信ではとうとう最終話の公開までたどりついた。このアニメ版の『平家物語』の取材も私はすでに受けているのだけれど、いつもとは媒体?ジャンル?が異なるためか、そのインタビューの切り口?などが新鮮で、なんかうれしいです。しかも山田尚子監督との対面まで叶いました(!!)。私は山田さんの映画『聲の形』にほんとうにもの凄く感銘を受けていた人間なので、こういう機会にまで至ったことに、びっくりしている。

なんというか私は今日はさすがにホントに疲れ果てていて、どうも、まともな文体でこれ(「現在地」)を綴れていないに等しいのだけれども、東村山の新環境「雉鳩荘」での暮らしは、瞬間瞬間、いや1日のうちに何度も十何度も、私(たち、古川家)を癒やしてくれている。じつは、厳し過ぎのスケジュールの合間合間を縫って、私(たち)は、今日は樹を植えた、今日はベランダを改造した、今日はにゃんたらかんたらだと着実に〈家づくり〉を前に進めている。環境の新しさの要点のようなものを列挙すると、「光がこれほど射しこむとは。浴びられるとは」とか、「時どき、音楽をずっと消していたいと思えるほど、静けさが音楽的だ」とか、「あっ、あそこを通っているのは初顔のニャンコではないか。あっ、あの鳥はっ!」とか、そうしたことです。そして、気づいてみたら何人かの友人たちが「雉鳩荘」をすでに訪ねてきてくれていて、その〈家づくり〉にちょっと手を貸すよ、みたいに申し出てくれていて、具体的な作業もスタートしていたりして、つまり、あれだ。私は感動している。

最後に報告。第2回の新型コロナウイルス用ワクチンの接種は、担当編集者のキさんのアドバイスがあって、前日からもろもろ対応していたら、熱は……出ませんでした! さぁ、このまま11月を乗り切るぜ。そういえば今朝も、雉鳩の鳴き声を聞いた。