この挫けなさに幸あれ

この挫けなさに幸あれ

2021.11.27 – 2021.12.10 東京

どうも2週間だの3週間だのに1回、この連載「現在地」を書くたびに口から漏れるのだけれども、この2週間もやはり私はヘロヘロである。そして物事はどんどん目に見える形となってきた。ふたつの文芸誌の新年号に私のここ最近の試みが形となって、載った。ひとつは「現代語訳『紫式部日記』」であり、原稿用紙で160枚ある。この作品は、最初の段落を読んだ瞬間に、というか最初の1行を目にした瞬間に「ぜんぜん単なる現代語訳じゃないじゃん!」と突っ込んでもらえるわけだけれども、そういうわけで立ち読みしてください。気になったら「新潮」誌のご購入を。っていうか、ぜひご購入を! と書かないと「新潮」編集部に大迷惑である。初校ゲラを2回チェックし、再校ゲラも見ました。ここ最近は『平家物語』について語るばっかりの状況が多かったのだけれども、私はやっぱり、その裏側に『源氏物語』をくっつけながら、自分が偏らないように作業を進めてきた。こういうことを言うと変な方向から石が飛んでくるかもしれないけれども、私は「紫式部日記」を訳しながら、と同時に、それを「現代語訳『紫式部日記』」という作品の内側に溶かし込みながら、紫式部という人の視線、皮膚感覚、倫理観までも、自分には「わかった」という時間をだいぶ生きた。私は、紫式部という人をぜんぜん理解していない現代人は、やっぱり相当いる気がする。

それは、私がここ最近『平家物語』について語りながら、「『平家物語』は誤解されているんですよ」と最初に振るのと似ている。で、なんで誤解が生じるのかなあ……とつらつら考えると、それは「(本当には)読まれていないから」である。なんか現代作家・古川日出男の立ち位置と似ている。読まれないで「……難解そうなんで、読みません。……難解なんですよね?」なんて面と向かって尋ねられたりしてね。頼むから当人に訊かないでね。

話が逸れた。そして、私は、「群像」誌で新連載『の、すべて』を始動させた。これはなんなのかというと、これは恋愛小説である。恋愛小説をやることで「恋愛、その他、の、すべて」が入る器を設けようと思った。もう連載第2回の原稿も書き終えた。この『の、すべて』と、「現代語訳『紫式部日記』」と、それから発表が少しさきの新作戯曲を合わせて眼に入れてもらうと、たぶん、私がどれだけ軽やかな新たな地平をめざして進みはじめたかはわかってもらえる。私はほとんど大胆に、まるっきりパンクの精神を持って、〈軽やかさ〉というものも武器にしようとしている。

とはいえ、新たな武器を手にしたり、それを磨いたりするのは大変だ。大変だけれど、やっている。そして、新しいことをやるから古いことは全部捨てるぞ〜とか、過去ってブラックだから抹消しちゃうぞ〜という姿勢は、それはそれで違うのではないか、と年を経て思うようになってきた。というわけで、私はこの、すでに多忙という言葉を越えてしまっている期間に、琵琶の公演である『平家 閃々と』の朗読ありのパート(公演全体の第二部)の演出に関わり、稽古をして会場の下見をして久しぶりに糊で切り貼りするような台本を自分の手で作って、と、やれるだけのことをやって、もちろん睡眠時間は削ってしまったのだが、「自分の出ないステージ」の演出に臨んだ。心のなかで意識していたのは、仮に「古川日出男の〈能舞台〉」というものを創るのならばいかなる形態を採るか? だった。かつ、邦楽のコンサートに来る聴衆に、観せられるのは何か、という、これは挑戦というよりも純粋な〈制約〉だった。結果はどうなったか?

結果は、満足できた。ひとえに出演者(役者の南谷朝子さん、琵琶奏者の川嶋信子さんと久保田晶子さん)の凄みによる。最終的なダイナミズムと調和がすばらしかった。自分の産みだそうとしている作品を、産みだされるその瞬間に〈客席〉の側に座って観る、というのは、なんともスリルに満ちすぎる体験だったが(……舞台袖や調光室とかで観ていたほうがそりゃあ楽だ)、稀有な体験だった。作曲の高橋久美子さんが稽古時からずっと立ち会ってくれたことも、創作の面ですばらしかったし楽しかった。

その舞台を、私が20歳前後の頃にいっしょに演劇をやっていた面々が何人も観に来てくれていて、そういう「来てくれる」ということを私はぜんぜん知らなかったので、びっくりしたし(ホント驚いた)、感激した。東村山の「雉鳩荘」に越して以来、私は、なんだか以前に数倍して人に会うようになっていて、それは未来が拓けるということにとどまらず、妙な日本語だが「過去も拓けている」という感触がある。35年ぶりに会ったり、30年近く関わりつづけている方と初めていっしょに食事をしたり。

結局のところ私は、この本名(古川日出男)のもとに、小説を発表しているのだし、それ以前も、その名前のもとに活動してきて、そこにはたとえば劇作家や演出家の私(古川日出男)がいて、いま、何かが軽やかにつながりつつある。私が数年前に発表した戯曲『ローマ帝国の三島由紀夫』も、カクシンハンさんが舞台に載せようと試みはじめた。そのリーディング公演の出演者は、もちろん私はいっさい関わらずに選ばれているのだけれども、昨日、古い演劇仲間から「あの時のあれの、あいつだよ。あいつも出る」と言われて、えー! と思って、だんだんとだんだんと、豊饒ななにごとかが芽吹きはじめている。

来週は、ちょっと重大なオペレーションに臨む。公けのことではないので、適当に(たぶん?)次回、報告します。あと、15年間いっしょに暮らしている樹木が「12年に1回とかしか咲かせない」と言われる花を2年連続して咲かせたと思ったら、今年も咲かせる準備に入っていて、しかも、1株増えた(!)。30年間いっしょに暮らしている植物は高さが3メートルを超えてしまって、ここ「雉鳩荘」のダイニングでぬくぬくしています。