スロウ、バット・クリア

スロウ、バット・クリア

2021.12.25 – 2022.01.14 東京・埼玉

今年(2022年)になって最初にこの自分の手で記した文字は、自分には「気負いというものがない」との体感、その覚え書き、だった。元日だというのに? ここには大きな驚きがあって、その驚愕ゆえにノートに書き記したのだ、とも説明できる。実際のところ私の今年の目標とはなんだろうか? これには自答(にして即答)できるのだけれども、別にない。「ない」のである。去年から続いていることを真摯にやる、は目標なのだと言えば目標だとも言えるが、そんなものは態度のまじめさを証す以外のなんでもない。ある意味で、私はどうでもよいのだ。信頼できる筋からのオファーは容れて、まあ、何かはやるんだろうな、と考えるばかりで、そんな姿勢で新年を迎えたのは記憶にあるかぎり「初めてだ」と言ってよいから、じつは愕然とする。

元日のその1日前には大晦日があった。当たり前のことだけれども。でも、この大晦日こそが、両目の白内障の手術後にもろもろの制約が解かれる日であって、たとえば私は、24時間着けていなければならなかった保護メガネを外した。これは寝ている間も装着するゴーグルのようなものだった。また、手術当日以来、やっとアルコールを「吞んでよい」となった。その日はさすがにあまり身体が受けつけなかった。まあ、このまま飲酒を断ってしまってもいいや、と少しは考えたのだけれども、このことに関しては私はまだ結論は出していない(私は、自分という人間が意識的に「弱さ」を抱える必要というのを、かなり分析的・批評的に理解している。つまり飲酒とは私の〈弱点〉であるわけだが……)。

大晦日のその2日前に、カクシンハンさんの演劇公演『ローマ帝国の三島由紀夫』の初日があった。私は、いちども稽古を覗いていないし、つまり「どうなるんだろうなあ」と多少の緊張とともに会場に向かった。演出の木村龍之介さんと開幕前に話して、木村さんは「面白いものになっています」と確信を(すなわち〈カクシン〉を!)込めて語った。その種の自信というか不敵さは、私は大好きである。で、私の1幕の戯曲は2幕に分裂・増殖していて、結論を言えばブッ飛んだ。いやいや、素晴らしい! ただのリーディング劇では全然なかった。その「なかった」力は、役者たちの内在し外在(=放出)させるパワーにまるまる拠るのだったが、要するに私は「最高だなあ」と思った。ただし呆然ともした。予想はしていたのだけれども自分の発表する戯曲はどうにも「ヤバい」。私はこんな乱暴な人間ではないのだがなあ、と思いながら、どのト書きもどの台詞もそういえば俺が書いたんだった、とふり返らざるをえなかった。音楽や美術もよかった。このプロジェクトの今後の成長を心から望む。自分もなんか協力したい。

私は、繰り返すが、大晦日から(保護メガネという)ガードなしの裸眼で生活できるようになった。あとは2週間ほどは目を酷使しないようにして暮らせばよい、わけだけれども、酷使した。私は単行本となる『曼陀羅華X』の再校のチェック作業に没頭しなければならなかったから。今度もまた、朱字は増殖した。「やれるだけやるのだ」との意思は、まっとうに実践された。この単行本は、いまからひと月と半月も経てば、出る。そのようにあっさりアナウンスしておく。この作品が、連載時からどこまで生まれ変わったのか、は、読者がひとりひとり判断してくれるだろう。もちろん連載原稿・掲載誌を読む必要はまったくない。ただ、ここに真に新しい〈宇宙〉は誕生したはずだ、と、その確信と(著者たる私からの)期待を刻む。

元日のことを書けば、私はコンビニで新聞を買った。雉鳩荘からは、ある程度の距離を歩かなければ、コンビニにもゆき着けない。そういうのは、まあ、楽しい距離感覚なのだが。なぜ新聞を買ったのか? そこにTVアニメ・シリーズ『平家物語』山田尚子監督と私の対談が載っているはずだからで、購入後にめくっていったら、本当に掲載されていた。元日に、そういうことがある、というのは、不思議な〈風〉だなあと感じる。愕然とはしなかったが、ほんの少し呆然とするところはあった。

それから4日すると、「アスミックさんが『平家物語』と『犬王』の共通ページ(サイト)を作成してくれましたよ」と河出書房新社のサさんからの連絡が入って(「あけましておめでとうございます」が連絡の要点だった)、そういうサイトを生んでもらえたことに、私はびっくりして、つまり驚愕した。

とか思っていると、『平家物語』の地上波でのオンエアは、関東でも関西でもスタートした。私は、たぶん半分以上の視聴者が、これまで〈過去〉の「すでに終わったお話」と思っていた平家滅亡の物語が、ここから始まる「いま進行中のお話」に生まれ変わって、つまり〈現在〉だの〈未来〉だのになりつつある事態に、驚いてくれてるんじゃないかなあ、と思う。なにしろ『平家物語』の希望とは、鎮魂とは、そこにあるのだから。ここに記したフレーズの意味は、たぶん最終回まで見れば(エンディングという〈未来〉に到達した瞬間には)、うっすらとは実感してもらえるんじゃないかなあ、との望みを持っている。それも強い、強い望みを。

今日、私は今回分の「現在地」を書いていて、これからスタッフにアップしてもらうのだけれども、今日という日の1日前(つまり昨日だ。近い〈過去〉だ)には、大切な時間があった。この日は私が、独身時代からいっしょに暮らしていた猫の、命日だった。いつものように献杯をして、それから今朝、目覚めたら、逆に今日のほうがそいつのことを考えつづけていた。私は、今日の午前は、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の最終章を読み返していて、そいつのことばかりをずっと想い起こしていて、すると心のなかでは号泣していた。年末も年始も、ここ雉鳩荘には友人だのなんだのが来てくれて、誰かが訪れてくれるたびに、その人たちの呼吸がこの家には満ちる。ここは狭いし、旧い木造住宅なのだけれども、その分〈呼吸〉には敏感で、すでに妻と私の息をたっぷり吸いとっている。つまり、いつもいる私たちふたりや、その他のやさしい人たち、大事な人たちの息とともに、膨らみ、新しい〈様相〉にならんとしている。そして、思うのは、私はここに、もう12年前に世を去ってしまった猫のあいつや、私とは親友でもあった別の猫のあいつや、それらの息もたしかに運んでいる、ということ。

その体感を、私は、「お前らのことはここに足しているよ。私たちが」との言葉で、表現する。それはおそらく、さっき言った「〈過去〉を、〈現在〉だの〈未来〉にする」ということの、言い換えに近い。