RUN 俺 RUN

RUN 俺 RUN

2022.01.29 – 2022.02.11 東京・埼玉

やっと走り出した。これは現実的に「足を使って、屋外を走る」ということをしたのであって、裸眼でもって外をランニングするとはどういうことかを試した。それは感動的な体験だった……と綴れればよいのだけれども、私は転居後、よく考えてみると運動らしき運動はしていなかった。それまでは週に2度3度とジムに通っていて(そういうのは20年近く続けていた)、それがいきなり、ぜんぜん運動らしき運動をしない生活に入っていたものだから、走り出すと、「え……!?」と思った。キツい。

iPhone用のランニング・アプリを登録し、きちんとウェアも準備して、走り出して、記録して、その記録というのを後でふり返ると、私は6キロほどの間に標高差が40メートルほどある区間を、だらだらと走っている。その、標高差40メートルというのを、単にのぼって降りるのではなくって、のぼったり降りたり、またのぼったり、ググンと降りたりしている。要するに我が雉鳩荘の周辺とはそういう地帯だったわけだ。いやあキツい。最後の1キロだか2キロだかには、どう見たって「お寺の石段みたいなところを、踏んで降りているだけ」の箇所もあった。死ぬかと思った。でもおもしろかった。

ここまで体力が落ちていた上に、ここまで未体験の地形を走行すると、いやあ生活の全部が変わったんだなあと実感する。そして、あまりにも呆然としながら走っていたものだから、裸眼だから見える特別な視界、というものは感受せずに、「これが当たり前の視界なのだ」と思った。考えてみると、このことは感動的だ。要するにいっきに日常化に突入した、というか。しかも「当たり前の視界なのだ」と認識しながら、私は驚きつづけていた。たぶん、ここからの人生の肝は、どれだけ自分で驚けるかなのではないか、と私は感じている。私が、私の生きている世界や、私の享受・感受する世界に驚かないかぎり、私の創作だのなんだのが他者を驚かせることはない。と、このことは確信している(だからといって単純に実行できるものではない)。

感動と言えば、このあいだTVアニメ・シリーズ『平家物語』の、9話めから11話め(最終回)までを続けて観た。すでに何度か、この『平家物語』は通して見ているのだけれども、11話めでは泣いてしまった。何かが深いところに入った。私は関係者と言ったら関係者だし、いま書いたように何度か鑑賞し終えているので、この涙は不意討ちだった。そのことにも、やっぱり、驚いた。

その『平家物語』の主人公のびわの目のこととか、自分の目のこととか、いろいろと考える。白内障の手術後の点眼は、最初は1日に4回、2種の目薬を両眼にささなければならなかった。それが1日に2回、1種のみ両眼に、と変わって、とうとう今年2月9日には「これで点眼が終わる」という段階にまで、来た。その前日に、私は病院に行って、その際には視野検査も受けたのだけれども、私の視野は、たぶん1年ぶりほどの検査だったのだと記憶しているが、左目がかなり欠損を始めていた。これは白内障とは関係ない。緑内障である。結局、この日の夜から、左目の点眼がスタートした。まず軽い薬から試してゆく。ということで、私は、ここから生涯にわたって「ずっと点眼をしなければならない」身となった。その衝撃は大きかった。

たぶん「明日で点眼は終わるのだ」との気持ちが、そんなふうに目の前で塞がれて、つぶされたことは大きく影響している。いきなり「もう終わらないのだ。あるとしたら、点眼薬の種類や回数が増えるだけだ」となったのだから。だが、それから3日経って(と書きながら、まだ3日しか経っていないのか、あの衝撃から……とは思っている)、だんだんと諦観が生じている。〈視覚〉というものに関しては、私は、子供の頃からいろんなことを思ってきた。「自分が見えているものは他者には見えないのだし、自分が見えていないものが他者には見えている」と、これは視力の面だけに限らず、痛感してきた。しかし……けれども。なんと言ったらいいのだろう? この〈欠損〉ということ、人に対して「欠けている」という現実こそが、私を、たぶん表現者として立たせている。私は、才能だのなんだのを他人より持っているから小説を書いたり朗読をしたりできているのではない。私には、ないのだ、何かが。だからできている。

私は、その事実が、私ではない誰かを励ますはずだ、と信じている。

今月末に新刊小説『曼陀羅華X』が発売になるのだけれども、そこに描いた主人公は、老いた作家で、目薬がいつも欠かせない人間だ。そういう作家のことを、私は当時フィクションとして書いたのだった。私自身はそうではないから、そう書いた。なのに、私はその『曼陀羅華X』の主人公の老作家と、同じ身である者と化した。この事実を、よし、私は讃えよう。だから1部分だけ、引用する。

「私は六十を越えた。しかし私の正確な年齢など、どうでもよい。日に最低三度は目薬をさす。私の老いた左右の眼球はそれを要求する。私は、さしながら、願っている。どうか、息子がこの視界に映りつづけますように、と。私は見失いませんように、と。(中略)/目薬をさすと、私は涙を流す。あたかも(後略)」

今朝のことを記す。昨日は雪が降ったのだった。私の家には、つまり雉鳩荘にはということだけれども、北にも南にも東にも西にも窓がある。その、東の窓に、ほんとうに綺麗な光がさしているよ、と妻が言った。ひとりで見に行った。ほんとうに綺麗だった。そして不思議に思ったのだった。雉鳩荘は、私たちが暮らしはじめるまでは空き家で、その「空き家時代」にも、やはり同じように光はさしていたはずで、その美しさは、けれども誰にも目撃されることがなかった。それはどういうことなんだろう?

(仮に……仮に。どこかで美しい音楽が鳴っている。だけれども、その音楽は誰にも聞かれていない。だとしたら、それはどういうことなんだろう?)

私は、そんな現実を問うために、また、そんな美しさを世界にささやかに提供するために、小説を書いたり、考えたり、行動したり、してみたい。いつか、点眼が不要になって、この世界から去る日まで。その日まで。