次作長篇は折り返しました。現在「群像」誌に連載中の『木木木木木木 おおきな森』のことです。展開の、なかばの、最後の1行を書き終えて入稿し、じつは、その後の、展開の「なかばの最初の1行」となるセンテンスも書きつけて、ひとまず筆を休めています。本当にめでたい。とはいえ、これは分量的な半分、というわけではないです。ここまでに700枚? それ以上? を書いているのですが、単純にこれを倍増すれば、完結、ではないのです。今週は講談社のみなさんとも会食・密談し、エンディングに向かってリングは調いました。ただし、来年の後半にその輪(リング)は閉じるであろう、という壮大なスケールなのですが。とはいえとはいえ、ひとまずホッとしています。安堵しつつ、もう書き下ろし戯曲のほうに没頭しています。頭の中が大変なことになっています。ですが、いま、おおきな森と綴ったのですから、森彰一郎君の話に移りたいと思います。森君は、僕が学校長を務める「ただようまなびや 文学の学校」の事務局長で、起動時から支えてくれています。その森君が「詩的古川論」を、あ、違った、「私的古川論」を寄せてくれました。読んでいて二重の懐かしさに襲われました。2013年から翌々年(とは二昨年の2015年ですが)までを懐旧する思いと、自分の高校時代にまで遡ってしまう思いと。前者に関しては、このサイトの制作スタッフ陣が、あらゆるリンクを張って資料価値を高めてくれたので、非常にコンパクトに「ただようまなびや」のことがわかってもらえるんじゃないかな、と感じます。目下は休校しているわけですが、自分が休校を選ばざるをえなかった《理由》が変わる時、変化が生じる時、また何かできたら、とはいつも、いつでも思っています。で、後者に関しては、先週「ほぼ日の学校」でシェイクスピア+『平家物語』の授業をやったこともあって、いろんなことを連鎖的に想い起こしました。森君の「古川論」でも伝わるように、僕は高校時代は演劇部に所属していたのですが、高2の秋には『天の火もがも(あめのひもがも)』という戯曲を書き、演出した。これは現代のとある高校生が、親友にガールフレンドを取られて、最後は刺す、というドラマ(それだけではない)を、万葉集の歌とともに描き出した話です。高3の春に「ハムレット」を完全翻案した『Dハムレット』を書き、演出した。たしかヨーロッパが舞台でした。高3の秋に『鞠叉物語(きくさものがたり)』というのを書き、演出した、けれども諸般の事情でクレジットは出さず/出せず、「チャンドラグプタ三好」という変名にした(……どういうセンスなのか……)。これは平安時代の、右大臣家と左大臣家の抗争の話です。つぶさに思い出してみると、なんか、こういう並びのラインナップって現在も……小説家になって以降も、ぜんぜん変わってないのでは……俺……。とまあ、そんなことまで回想してしまって、遠い目をしているのですが、そんな自分が毎日毎日、《戯曲》のことを集中して考えているのだから、僕はまっとうに歩んでいるだけなのかもしれない。で、小説家になってからの「まっとう」?な歩みの記録は、とうとう『「小説家」の二〇年 「小説」の一〇〇〇年/ササキアツシによるフルカワヒデオ』なる書名を具えて、今月末の刊行がはっきりアナウンスされました。改めて、共著者の佐々木敦さん、ならぬササキアツシ!さん、ありがとう。さあ夏が始まります。真夏がもう走り出しています。
20180719