寂しさと共生する、それが。今週のここまでの日々の、自分の正直な気持ちです。世田谷美術館での『銀河鉄道の夜』の公演は、二日めを中止せざるを得ませんでした。しかし、何かは産めた。そのことに関しては(そのこと、というか、公演/公演中止直後の、自分の素直な感情に関しては)『銀河鉄道の夜』ウェブサイトにあげたコメントを読んでください。いまは、福島から戻ってきた朝です。いつもいつも、僕はどこかに移動していますが、いつもいつも、執筆を続けている。「そして、次だ」「そうだ。そして、次だ」と思って。今週末からは仕事場に腰を据えての執筆没入が始まります。かつ、仕事場に腰を据えていても、物語の内側にダイブするので、移動は(むしろ苛烈に)続きます。それで、そうだ、怒濤の作品発表の連打も、ここからです。まず雑誌「MONKEY」上、それから作品集『ポータブル・フルカワ(仮題)』上梓、そして、これは作品ではないのですが、僕=古川日出男をめぐるシンポジウム。これらが、ここから2カ月弱の間にいっきに展開します。情報は続々あげます。もしかしたら、もう弘まり出しているかもしれないですが。この10月のなかばには、本当は今年再度のイタリア渡航というものが予定されていたのですが、こちらは来年以降に延びるような具合になったので、そこで空いた時間を……時間を、もちろん執筆に充てます。しかし、なんだろう、こうして気合いの入った宣言をしながらも、やっぱり寂しいな。上演はしたかった。あの夜も、あそこで、やりたかった。正直に言ってしまえば、そうです。もちろん。もちろんそうだ。けれども。その寂しさと、共生して、そこからポジティブ極まりないものを。僕は。僕=古川日出男は。創りたいし、届けたいです。届けて、(それが本であろうとパフォーマンス作品であろうと)このお便りを読んでくれているようなあなたと共有したいです。共生と、共有と。その、どちらにも冠されている《共》の1字。今朝は、何かが自分に向かってシャウトしているのを感じました。福島の空気を、今朝、吸い込みながら。もしかしたら安達太良山かもしれない、叫んでいたのは。
20181004