とても短い長いお便り第2回。発売です。『とても短い長い歳月』が。カタカナで略して『ポータブル・フルカワ』こと ‘THE PORTABLE FURUKAWA’ が。ありがとう。この感謝の言葉は、各方面に届けなければならない。いろいろ怒濤のように展開していますが、北村恵さんと河合宏樹くんの援護でこの最新作の解説動画「とても短い長い宣言」の第1弾がリリース前日(2018年11月6日)にアップされました。おまけに40秒のCM(!)も同時に。撮影は僕が静岡から戻った翌日、スタッフ2名を加えて、なんだか最高速でポジティブに作業して、そしてアップ当日(および前日)には全員の間であらゆる言葉のやりとり。チームプレイで作品=動画ができました。なんだかチームといってもヒップホップ・チームだな、つまりニップノップだな、だから最新”だな、という勢いでした。そして最新”メンバーの三田村真さんからは、このサイト用にとメッセージも来ました。こちらもアップ済みです。手書きの字が僕のメモ書きに似ているのは、なんででしょうね。謎だ。あと、感謝といったら、全国のいろんな書店さんが僕のデビュー20周年記念フェアを開催してくれていることで、本当にありがたいです。なんか性格的に恐縮します。とはいえ、恐縮はしないで心を込めてやろうかと思っているのは11月29日のブックファースト新宿店での朗読会「とても短い長い朗読」です。短い、といってもたぶん1時間弱?読むんじゃないかと思います。あと、これもリリース前日にですが、発売された文芸誌「すばる」に小澤英実さんの『短い長い』評が掲載されていて、読んで、ありがたさに泣きました。書評は、いつも、誰が書いてくださっても感激し、感動しているのですが、この『短い長い』という本は、「その本を書評する」ということが「古川日出男を論ずる」ことになっている1冊なのだな、と改めて理解しました。古川を、そういうふうに捉えてくださっている評者の方(ここでは小澤さん)がいる、というだけで、自分は、やり続けてきて……《意味》だけはあったのだな、というか、俺という存在も、そんなには無意味ではなかったのだな、と痛感できた。なにか、今回のお便りは素直に(というよりも無防備に)ここまで綴っているので、そのまま素直さ/無防備さを深めて、次に進めます。
とても短い長いポエジー。いま、博多にいます。昨日、羽田から飛びました。飛行機の離陸時には、いつも、けっこうマジに僕はここで事故が起きるかもなと想像します。そして、だいたい4度に1度ぐらいは、ここで事故が起きて死んでしまうのは楽かもな、と考える。もっともクリアに憶えているのは、『平家物語』の現代語訳の初稿をあげて、編集者に渡して、かつ『ミライミライ』の新連載初回150枚の原稿も上げて、ゲラも戻して、そしてニューヨーク行きの飛行機に乗った2016年の4月下旬です。その時、なにかもう、「いいんじゃないかな」と思った。もう、俺もずいぶん疲れた。訳すものは訳したんだし、新作も《形》だけは示せた。こんな、とても長い長い長い道程にいることに、正直、もう疲れた。ここで事故が起きたっていいんだ。もう……「いいんじゃないかな」。そう思ったことを澄明に思い出せます。でも、今回はどうだ。いまから博多に向かう。『平家物語』のイベントのために向かう、そして、今日の俺は死ぬのはいやだ。本当にいやだ。連載小説の『木木木木木木 おおきな森』の原稿は書き進めていて、まだ入稿前で、それどころかこの小説の構想は劇的に進んでいて、そうしたアイディアは誰とも共有されていない、俺が事故に遭ったら、俺が死んだら、それが消える。俺の本なんて、そんなに大勢に読まれる類いのものじゃない。そうしたものを俺は書いていない。だから、俺の原稿だのアイディアだのは大した損失じゃない。俺の命だって、ぜんぜん大した損失じゃない。この世にとっては。けれども、作品という形で、これから生まれようとしている世界がある。物語がある。言葉がある。俺は、『木木木木木木』は残したい。ちゃんと産み落としたい。そう切実に思って、ああ、離陸っていうのは瀬戸際に人を置くものなんだな、と痛烈に感じる。
(そうだ、小説が僕を生かしている。僕の小説は誰かを生かすか?)
(それができるか?)
(できているか?)
とても短い長い質問。市町村の合併がブームになったおり、新たに誕生した自治体がひらがなの名前を採用してしまったように(例:さいたま市)、平成のつぎの年号がひらがなになってしまったら(例:2019年5月が新年号「へいわ」元年5月になる)、あなたは慌てますか? 慌てるとしたら、なんでですか?
とても短い長い1日。そして『短い長い』発売翌日の2018年11月8日は、ええ、長かったです。起床後、宮沢賢治のことを考える。深く深く考え、それから旅行の支度をする。8時台には家を出る。リムジン・バスに乗る。羽田に到着する。そこからずっと『平家物語』のことを考える。搭乗する、離陸する(、その瞬間、いや瞬間というよりも数分間、何かを考える、深い深いことを考える)。飛んでいる、飛びながら『平家物語』のことを考える、考えつづけていると、いま、着陸前の飛行機が壇ノ浦の上を飛行したんじゃないか? そう感じる。福岡空港に着いた。出て、地下鉄に乗り、博多駅に着き、ホテルをめざし、チェックインする。最上階。そうだ昼飯を食べていない。ラーメンにする。名前を記憶していた店に入って、驚愕する。左右に仕切りがあり、カウンターが個室状態になっていて、店員の顔も見えない。「味(食べること)に集中してね」と言われる。なんだこれ? しかしラーメンは美味しい。替え玉も注文する。内実不明の「お酢」も注文して、投入してみると、摩訶不思議な感覚がある。俺は博多に来たのだ。戻って、歯を磨いて、着替えて、やっぱり『平家物語』のことを考えて、夕方、ブックスキューブリック箱崎店さんへ。筑前琵琶の演奏者の高木青鳳さんとのトーク。ブックスキューブリックはカフェにもベーカリーにもギャラリーにもなっていて、とてもよい空間。大勢の人が来てくれた。とてもよい空気。そして高木さんが演奏する。とてもよい、凄いバイブレーション。高木さんの声も。空間、空気、振動。そこに平家(なる物語宇宙)が顕つ。とても貴重な時間。空間と時間。サイン会は、『とても短い長い歳月』もいろんな人が買ってくれたので、初めてこの本にも署名できる。装幀を手がけてくださった水戸部功さんから「サインは是非、金インクのペンで!」とミッションが出ていたので、そのミッションをコンプリーテッド。それから先月より佐賀に移った画家の近藤恵介くんが、わざわざ博多に出てきてくれて、イベントに立ち会ってくれた。この数日間で「フルカワヒデオ、戯曲を読む!」のチームがふたたび周りで笑顔を散布してくれている。散布、散布、サンプリング。あ、俺のかたわらにDJ産土がいるんだ、そう実感する。
20181109