考えてみると足かけ3年めです。何が? と問われるでしょうが、連載中の小説『木木木木木木 おおきな森』が、です。一昨年(2017年)の12月初旬に、文芸誌「群像」で初回一挙300枚という形でスタートしたのでした。今日(2019年1月17日)は、その連載15回めとなる分の原稿を入稿しました。加速する、というより、深化しています。ここまで掘るか、と驚愕する人もいるでしょうが、同時にまた、「雑誌連載の途中には読まないんだよね。本になったら読むから」という人もいるでしょうから、一体これはどういう小説なのかを解説すると、たとえば満州(満洲国、満洲帝国)の問題を軸のひとつとして、しかし日本の近代文学が側面を固めて、また、別の側面はラテンアメリカの20世紀文学が固めて、それらの布陣のもと、《悪》を問わんとしている、とは言えます。しかし何が《悪》か? 真の問題はそこです。例を挙げますね。戦争中に、戦地にいて、人を殺します。すると褒められます。しかし、いま君が外に出て、人を殺します。その行為は(君もろとも)全否定されます。なぜなのか? 答えてください。また、この小説ではキリシタン(切支丹)も扱うのですが、ある時代、キリスト教を信じるだけで殺されました。日本での話です。現在、イスラム過激派は、ある意味では「それを信じる」からこそテロを起こし、人を殺しています。これらは、結局は同じことのように見えてしまいます。ある宗教を信じて、いっぽうで殺される、他方は殺す、という対極のアクション・被アクションが。なぜなのか? 答えてください。でも、誰も答えてくれない。だから僕は考えています。そして、「こういうことを考えています」と言葉にすると、うわースゲー面倒そうな小説ぅーと思われそうですが、まあ思われたっていいんだけど、きっと『木木木木木木』が実のところどんな小説か、に関して相当誤解したイメージを持たれてますから、よければ掲載雑誌「群像」の「前回までのあらすじ」をチラ見お願いします。担当編集のKさんがまとめてくれてますが、きっと君はぶっ飛びます。それと、『木木木木木木』では次第に僕の動物愛がやっぱり炸裂しはじめていて、鶏やら馬やら、それから今後は熊も、とどんどん登場します。どうして世界・歴史・あるいは倫理、というものに関して思考を深めると、人類以外の生物が登場するのか? 自分にも謎です。時どきインタビューなどで「どうしてですか?」と直球で尋ねられますが、わかってたら毎度出ないですよ。わからないから出るのです。深層から出るのです。つまり、僕の意識の深層には獣類がいるのだろうし、いや獣類だけじゃないな、鳥獣虫魚だ、動物たちがいて、それから植物たち、また菌類もですね。さらには鉱物もか? その先に考えるのは、つまり単純に素粒子です。素粒子レベルから文学を再構築すると、どうなるのか? どうして、僕が「コンピュータで打っている」だけの文字が、あなたの端末の画面に、文字、として出現するのか? データとは何か? しかし肝となるのは、「とはいえ俺(=古川日出男)が思考しなければ、それらの文字は生じない」となります。さあ、考えつづけよう。年内には『木木木木木木』は完結させるぞ!
20190117