とうとう50回めのお便りです。このサイトの開設以来、週1回更新して、ある期間は毎週3000字は書いていたのではないかというお便りも、なんと50通めに至ったのですね。とはいえ、この期間限定サイトの更新維持も来月末まで、そういうことを考えると若干寂しい……。などと書いてしまうと、勢いが削がれるので、勢いを増す情報のアナウンスから行きます。その「来月」である3月22日から4月21日まで、代官山の LOKO GALLERY にて、展覧会「、譚 近藤恵介・古川日出男」を行ないます。この「、譚」は《てんたん》と読みます。展覧会であることを強調して「、譚」展と記したら、もちろん《てんたんてん》と読むわけです。これまで画家の近藤くんと行なってきた共作に関しては、このサイトの「特別寄稿『私的古川論』」の初回に近藤くん自身の筆による詳細な記録・分析がありますが(第1回:近藤恵介 「古川日出男が書く、いや描く、のか?」)、あ、ちなみに、この「古川日出男が書く、いや描く、のか?」内の画像は、クリックすると高解像度に拡大されます、お試しを、というか近藤くんの文章そのものが凄いんだが……という感歎はさておき、今回の「、譚」展はその一種の回顧となり、かつ、一切は再構築されます。のみならず、もちろん公開制作もあります。過去の展覧会においても、つねに公開制作は行なってきましたからね。その日程は、3月23日です。のみならず、3月30日と4月21日には画廊劇「焚書都市譚」を上演します。これは来月上旬に某文芸誌で発表する……と濁す必要はないか、「すばる」誌上に発表する同名中篇の、劇化・パフォーマンス化です。もちろん自分で演出し、台本を準備します。演出的には『フルカワヒデオ、戯曲を読む!』シリーズと昨年9月の世田谷美術館版の「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を視野の左右に置いたような、そうしたものになると思います。メンバーも、『戯曲を読む!』の主力、再結集です。そこにさらに美術的音楽的要素を加えます。まあ、しかし、変にコテコテのものにはしません。いったい、何が自分の考える《劇》であり《パフォーマンス》なのか? そして、それを美術展の枠内で、ギャラリーという空間内で「発生させる」とは、いかなる行為になるのか? このことを、一人の文学者として考えます。要するに美術×劇×文学のクロッシングになるだろう、と予想し、そこに向かってビジョンを練りはじめています。練りながら、執筆ざんまいの日々は続行するわけで、かつ、続行してきたわけで、いま来月の「すばる」誌の予定を書きましたが、もちろん今月前半には別種の本気のものをガッと出します。しかしまあ、俺もよく体が保ってるなー。こないだの日曜日には池上冬樹さんが世話役・講師役の「山形小説家・ライター講座」に呼ばれまして、日帰りで行ってきました。山形市。雪の。文芸評論家の池上さんには、僕のデビュー作『13』の書評を書いてもらったことがあり、かつ、その書評はこのサイトの「ちいさな回顧展」コーナーに掲載もさせてもらっているのですが(#1 「雑誌に載った最初の書評」)、そのことがあって、池上さんと直接やりとりをさせてもらうという機会が生じ、まあ山形まで招いてもらうことになったわけです。不思議です。講座に出席している人たちは、みな熱烈に熱心でした。さすがに「小説家になったら、きついだけですから、ならないほうがいいですよ」とは言えなかったですけど。そんなこと言ったら「国会議員になっても、きついだけですから、ならないほうが……」と政治塾で言うみたいだしな。言いたいのは、小説家になりたいのか? それとも小説を書きたいのか? ということですね。政治家になりたいのか? それとも、政治を(日本のために、政治を)したいのか? というのといっしょ。そうだ、今度は政治塾に行こう! というのはさておき、このサイト「古川日出男のむかしとミライ」を始めたおかげで、本当に新しいこと・再度の結びつき・大きな展開、がいっぱい生じていて、サイトを開けてよかったです。もともと20周年記念サイトとかの発想はゼロで、周囲が提案してくれたり、こうして運営してくれることがなかったら、俺、やらなかったしやれなかったし。人生っていいですね。
20190201