過去あらいざらい。と形容するしかない勢いになってしまいました。文春オンラインさんに「作家と90分」前後篇が掲載されて、インタビュアーの瀧井朝世さんにあっさり肋骨割られて(とは胸を開いたとの意味です……)デビュー後の20年間をそれはもう語り倒してしまった長尺インタビューが公開されたのとほとんど時を同じくして、本当にもう、タイミングは狙っていなかったのですけれども、本サイトのためにと特別に行なったベニー松山さんとの対談が公になる、という日が来ました。「作家と90分」だけでも、あー、俺ここまで語ってるのかあ、こんなにも気負わずに、こんなにも正直に……と感じ入っていたのですが、ベニー対談はいきなり《デビュー以前》の数年間をどんどん語り倒す(明かし倒す?)という内容で、このふたつ、続けて読んだら大変です。だれが? 俺か……。具体的には、1990年秋ごろから2018年春(今年の4月末)までの古川日出男が、これでわかる、という次第……。そこに、これまた先週公開スタートの「絶賛過労中」や発掘した『ベルカ、吠えないのか?』創作メモなどを併せると、いや、なんか……もう、なんか……。いい感じですね。さて、過去がそうならば、現在はどうかと言えば、あれ? 先週もこのフレーズ書いたっけ? ま、そんなことはいいんですが、現在形のプロジェクトは、たとえば6月に柴田元幸さんテッド・グーセンさんと北海道上陸、9月に ASIAN KUNG-FU GENERATION の後藤正文さんと北海道上陸、と『ミライミライ』関係もひき続き、あっさり、驀進させます。それから、今週は、ついに三田村真さん a.k.a. DJ産土のコンパイルによる本(=古川日出男作品集)の、第1回デザイン会議も始動しました。この本は、古川日出男の「入り口」になったらいいなあ、と感じています。いろんな人から、「古川作品では、何を最初に読んだらいいか?」と問われますが、あるいは、周囲からそんなふうに問われている読者の方もいると思いますが、答えづらいですよね。だから、「最初に読める本」を、準備しておきたい。そのために、三田村真さんの力を借りた。もちろん、彼だけじゃない。こうやって書いているように、ベニーの力を借りて瀧井さんの力を借りて、それから今後控えているイベント群だったら、柴田さんや大事なカナダの友だちのテッドや、ゴッチの大きな力を借りて、自分の作品を、その作品の《世界》が届けようと試みている内奥のものを、あらゆる形で(たとえば言葉で、たとえば音で、たとえば何とも形容しがたい「感情」で)伝えよう、広めよう、そう思っています。6月末に控えている「フルカワヒデオ、戯曲を読む!」@ SCOOL だって、僕の理解者たちと、仲間たちと、三島由紀夫の力すら(ちゃっかり)借りて、やはり「入り口」を用意しようと意識している。いつでも、あっさり、その敷居をまたいでしまえるエントランス。そんなことを言ったら、なによりもこのサイトが「入り口」なのです。いろんなコーナーに寄稿してくれる人たちがいて(まだまだアップされる予定)、そうしたコーナーの開設を準備し、調整し、公開にもってってくれるスタッフ陣がいて、おかげで前に前に進めている。おかげで……あんまり後顧の憂いなしに、昨日も今日もたぶん明日も執筆に苦しめている。悩まずに、最大苦悶する。その姿勢で、あっさり生きのびてやるぞ、とわけのわかんないことを思ってます。死なんわ。そう、微かだけれども光が見えます。
20180531