私たちは選べない、私たちは選べる

私たちは選べない、私たちは選べる

2019.04.13-04.26 東京

この世には性差(男女差)というのがあり、これは問題を引き起こす。性差は容易に性差別を生む。が、たとえば国会議員の半数は女性にしなければならない、と決定されたとして、あるいはまた、LGBT(セクシャル・マイノリティ)がその「差」による困難をいずれ突破・克服したとして、しかしながら、人には2種類あるのだ、との厳然たる事実からは逃れられない。私は何を言っているのか?

私たちはどうしても2種類に分かれる。「歓迎されて生まれたか、歓迎されずに生まれたか」に。すべての子供が、親その他に求められて生まれるわけではない。この前提がしばしば失念されるから、余計な苦悩に子供たちは突き落とされる。かつて、兄弟姉妹が五人も十人もいたり、あるいは父というものには複数の妻や(前妻、後妻)、裕福であれば妾というものが当然いた時代には、「子供というものは、つねに望まれて生まれるわけではない」ことを誰もが承知していた。本人たちも。そうした一種のコンセンサスがあれば、子供は、自ら生きのびなければならないのだ、すなわち自力で、とも意識できた。また、周囲もそのサバイバルに手を貸せた。今はどうなってる?

私は LOKO GALLERY で上演された画廊劇『焚書都市譚』において、数十名の観客を5グループに分けた。そして各グループは、出演者でもあるリーダーに率いられて、ギャラリーの建物の3層(合計4フロア)をエレベータおよび階段を用いて、移動した……移動させられた。が、だからといって「劇」の5分の1しか観られないわけではなかった。おおよそ全体の6割か7割は視聴覚で認識できる仕掛け=演出を施した。そのために2面のスクリーンと全フロアのスピーカー、計6本のマイクが駆使された。演出家の私がやろうとしたのは、「人は、その『生まれ』を選べないように、劇の出発の時点では何も選べない」事実の再現だった。ここには自由には動き回れない観客がいた。

そして、その先だ。劇の中盤〜後半は、とことん自由に動ける。そもそも座席というものが6〜7脚ほどしかない。私がわざとそうした。観客は、本当に能動的に、ギャラリー内を移動した。そうなのだ、私たちは「生まれた時は『選べない』」のだけれども、いざ生まれたならば、ある一定の時期を経たならば、意志的でありさえすれば「自力で『選べる』」域にも進める。その実践の果てに、何を得るのか? 何を感じるのか? 私は、画廊劇『焚書都市譚』の四月β版と四月版を上演して、感動した。これはキャストとスタッフ、そして観客全員の共同制作となる「作品」だと実感したし、また、幾人かに「この画廊劇の鑑賞は、文学体験だった」と言われた。それからまた、これがそのまま小説です、とも。

この画廊劇『焚書都市譚』には個人的な挑戦もあり、それは、朗読行為の彼方に突き抜けて「台詞を憶える」ということだった。要するに私は、演じた。28年ぶりに相当量の台詞を暗記して、演技をした。四月の上演本番の、ほんの数日前だが、何かがわかった。私はそれまで、小説版の『焚書都市譚』の主人公である「小説家の私」を、まさに小説家である私・古川として、そのまま演じようとしていた。が、ここに罠があった。私は、「『小説家の私』を演じる俳優を演じる『小説家の私』」にならねばならなかったのだ。そして、認識・洞察したのは、以下のようなことである。

台詞を憶えている私の肉体がある。私は、その肉体に入る(「人型機械」を着用するように)。そして、内側からこの肉体を操作する。私はもちろん普段から私・古川として、私自身の肉体の内側におり、これを操っているのだけれども、その私が私・古川の肉体を「着て」しまう。これは私が、私に憑依するのに似ている。これは小説の作者が、小説の登場人物を操るのに通じる。私は、演技をすることで、やはり小説を書いた……。

私の文学は拡張をつづけている。それが可能なのは、この私を助ける人びと・支援する人びと・共闘する人びとがいるからだ。私のサバイバルに、手を貸してくれる「周囲」があるからだ。私は、これは告白になるのだけれども、望まれてこの世に生まれた子供ではない。しかし私は生きるし、私は、これからの子供たちに手を貸す。