The Solar System of G

The Solar System of G

2019.07.13-07.26 東京

凄まじい勢いで時間が過ぎている。書き、思考し、人に会い、話し、音に触れ、その他。そして新しい本『グスコーブドリの太陽系』も刊行された。いや、これでは助詞の使い方がおかしい。新しい本、が、刊行されたのだ。つねにつねに、著作の誕生というのは他の事象を凌駕する。つまり、私はうれしい。この『グスコーブドリの太陽系』の成り立ちの経緯や、一冊にまとめるに当たっての(もろもろの試みの)筋道は、前書きに記した。だからそこを読んでもらえばわかるわけだが、その前にこの文章の英文タイトルを。

「Gの太陽系(The Solar System of G)」とは、もちろんグスコーブドリの太陽系であり、と同時にゴッドの太陽系である。ゴッドのG、もちろん人びとは太陽系(の存在)などを初めて認識した昔、それらは神が創造した、と考えたわけだが、いまの私たちは考えていない。グスコーブドリとは宮沢賢治の童話の主人公であって、ただの人間である。「ただの人間」の太陽系、とは何か? Gに、二つの意味を持たせる時、いっきに反転するものを私は見たい。もちろん、創造する、や、創造主、という概念を持ち出す際、反転するのはオリジンである。世界の起源。

たとえば日本には起源がある、とする。まあ大方の人は「日本にはオリジンがある」と言うだろう。日本国の、日本民族の。そして「日本はオリジナルなのだ」とも続けるだろう。その文化が、その民族性が。私は、今年2月に「新潮」誌に発表した評論(『三たび文学に着陸する』)で、『古事記』に深く言及したし、一部分を現代語訳もした。そういう人間だから語るが、たとえば『古事記』に見られる日本神話、それらのルーツには「北から」と「南から」の二種がある。また、神々の系統には「大和が拠点」と「出雲が拠点」の二種がある。そして、それらを書き留める言葉は、日本語ではあるのだけれども、記している文字は中国大陸から来た。文字の発明はこの列島ではされていない。

わかるだろうか? 日本の起源、それは最初からミクスチャーだ。異種交配だ。オリジンがすでに雑種である、というこの凄さ。そこを誇りにせよ、と私などは思う。日本の真の「面白さ」とは、唯一の日本民族(性)や唯一の日本文化が、その出発点から「ない」ことなのだ。オリジナルではないからオリジナルだ、ということ。これをもっと、もっと、いろいろな人にわかってほしい。

『グスコーブドリの太陽系』は、宮沢賢治の作品/世界のリサイタルにしてリミックス集で、そう、そこには「端っからミクスチャー」讃歌がある。ここにもあるのだ、と告げたい。そして雑誌「MONKEY」連載時から挿画を描いてくださっていた秋山花さんの、本当にすばらしい装画や、ASIAN KUNG-FU GENERATION の後藤正文さんの帯の、ただただ強靱な推薦コメントや、それらのミックスで現出できたこと、そのことに個人的に深謝する。