ただゴウゴウと音がしていた

ただゴウゴウと音がしていた

2019.11.07-11.22 東京・福島(郡山)

母が死んだ。先月の下旬から危篤といってよい状態だったので、もちろん覚悟はできていたし、昨年の7月にも実はいったん覚悟したことがあった。生きて生きて、生き抜いたのだな、と圧倒されている。なにしろ、最後はいっさい栄養を受け容れられない容体となり、にもかかわらず水(食塩水の点滴)のみで3週間をはるかに超えて生きた。

私は、息子として、その生命力(のようなもの)と、それから精神の弱点を継いでいる。そのことを自覚している。病いというものはあらゆる形で遺伝する。健康であることもまた病いの顕現の一つだ。それは「病いが『ない』」という形で、病いの程度を表わすのだから。私は、何を母親から自分が継いだか、をずっと意識しつづけなければならない。肉体と精神の拮抗を、確認しつづけなければならない。

通夜は自宅で行なわれた。告別式は斎場だった。自宅から出棺する朝、同じ集落の人たちが、みな道ばたに出て、市街地へと走り進む霊柩車(そこに母の亡骸があった)に向かって合掌し、黙祷を捧げてくださった。その光景に私はただただ感動した。私は、その時は、まだ空っぽの骨壺を抱えていたのだった。これから焼かれるのだなと思っていたのだった。

よい告別式だった。いろんな方々のお力添えがあった。供えられるもの、贈られたものがあって、それらの、ひとつひとつに感謝した。きちんとした進行で、きちんとあらゆる方々と話して、私は7歳でもあり10歳でもあり17歳でもあり33歳でもあり、しかし現在53歳なのだな、もう、と、そう思った。

何を書いていいのかわからないのだが(これ以上、何を書けばいいのか?)、私は、生まねばならないと思っている。本を。新作を。