「終わり」にする余裕はない

「終わり」にする余裕はない

2019.12.28-2020.01.10 東京

年末年始、予定どおりに私は書きつづけて、つまり「年末も年始もない」状態を貫いたが、同時に予定にはなかった状態に落ちた。倒れた。人生史上初の腸の痛みに襲われて、数日続いて、しかし、私は予定どおり『曼陀羅華X』の新章は書いて、入稿を果たした。『木木木木木木 おおきな森』の900ページのゲラにも着手した。今日までに、3度、肉体の鍛錬メニューをジムでこなした。要するに、全部やった。そのうえで、何ひとつ予定どおりではなかったことは、私自身が病んだことなどよりアメリカとイラクの間にあった。私は倒れながら、1月3日にイランの司令官のアメリカ軍による殺害、「こういうのはテロとはどう違うんだろうな」と考えざるをえない爆殺のニュースを知って、「こんな時代に俺は小説というものを書いているのだし、今年、そして来年も、書きつづけるのだ」と思った。

何も終わりにできない。

ドナルド・トランプは本を読まない(事実らしい)。ドナルド・トランプは歴史を知らない。興味もない(断言してよい)。私は、銃器はひとつも持たないけれども文字を綴る、銃弾はどこにも込めないけれども書物を出す、としか言えない。私は、私自身が歴史のなかに生きている作家なのだ、とだけ言う。もしかしたら叫んでいるのかもしれない。自分のことは客観視はできない。『木木木木木木』のゲラは、想像をはるかに超えて読みやすい。私は驚愕した。この本を、どうにか「いろんな人」に読んでもらいたい、と願いながら、その方途はつかめていない。だから、知恵を借りたい。結局、私は「いろんな人」の助けを借りたい。私は他者に頼るし、他者から頼られたら、たぶん全力で応える。そういう世界を信じる。