植樹する

植樹する

2020.02.15-2020.02.28 東京

『木木木木木木 おおきな森』のプルーフが完成した。プルーフとはバウンドプルーフ、校正刷りを束ねた仮綴じ本である。販促用に用いられるものなので、一般人の目には触れない。が、「触れさせたい」という思いが湧出してしまうほどの〈本〉だった。なにしろ、表紙には「このプルーフは、総ページ数が製本上限を超えるため、途中で切れています」との解説がある。そのまま「続きはQRコードからダウンロードしてPDFでお読みいただけます」等とある。とんでもない。

この、とんでもないアイディアは担当編集者のもので、それだけでも痛快だが(本当に素晴らしい)、しかもこのプルーフは、縦にまっすぐ置いたら「立つ」のだった。自立してしまうのだった。私の著作は、何冊かそういう本がある。あまりに分厚いので「ブックエンド代わりに使っています」と言われることがある。けれども、プルーフで「立つ」というのは一種の偉業だ。エンディングまで印刷されていないのに、自立、というか起立するとは。それは〈本〉として正しい姿勢であり(もちろん断言はしないが)、人としても正しい姿勢だ、という気がする。

新型コロナウイルスの刻々変化しつづける状況に触れるにつれて、この「見えないウイルス」の恐怖・恐慌は、「見えない放射能」のそれと同じだ、と感じる。9年前が繰り返されていると感じる。そして、誰かが正しい姿勢を持っていない。福島第一原発に近い(か、または立地した)自治体が、テレビ等のニュースでさまざまな政府発表を知り(すなわち〈報道〉で先に知らされて)、どうしたらよいのかと困惑したのと同様の状況を、今週に入ってから国が繰り返している。何も学んでいないのだな、と私は思う。あなたは正しい姿勢をもっていないのだな、と誰かに言いたい衝動に駆られるのだけれども、そんな批判をする前に、自分の姿勢にだけ注意を払いたい、と自戒する。

私は『おおきな森』を、いろいろな人に読んでもらいたいと当然思うのだけれども、それは「売れたい」という気持ちではない。むしろ「植樹したい」という念だ、と感じる。見えないあれとこれ、が連結し、見えない未来、に人びとが恐怖・恐慌をきたしてしまう状況下で、「『現在』のスケールを超える大きさ」だけをただ自分の本業にて提示すること。現在をはみ出し、見えない未来をはみ出し、だからこそ斜め上や真下からの(まるっきり規格外の、もしかしたら馬鹿げてもいる)可能性を模索すること。そのために、ひたすら現在、行動すること。

明日からは福島だ。私は。