Sooooooooooocial Distance

Sooooooooooocial Distance

2020.05.23 – 06.12 東京

最強の環境で英語版『スロウ・ボート』を朗読する動画を完成させた。その「最強の環境」を用意してくれたのは、仲間たちである。映像の河合宏樹くん、音響の川島寛人くん、写真の朝岡英輔くん。このコロナ禍の時代に、何がもっとも批評的で、かつ、批判的にならずに〈希望〉を暗示のように伝えられるのか? この動画の舞台装置は、私が仕込んだものではない。ひとえにスタッフの思索、思考、発想に拠る。正直、「こりゃあ凄いな」と収録当日に私も思った。そこから生まれたのがこの朗読である。当然ながら、私の英語など適当極まりないが(いつものことだ)、しかし〈朗読〉としての質、あるいは熱は、最上のものとなった。これならば言語の壁など突き崩すだろう、との確信のもとに、ここに(この Last Boat Version を)発表する。そして、それが崩せるならば、もっと他の壁も崩せる。

私は、じつは2月以降、コロナの災禍というのが惨い状態になりつづけても、かなり落ち着いている。ほとんど精神的に動揺していない。なぜか、と自問すると、返る答えは「たぶん俺は東日本大震災で学んだのだろうな」となる。何を学習したのか、はわからない。そのことはクリアには把握できないのだが、あの9年前の災禍で「学んでいない」人間たち、組織たちの反応に触れると、苛立つ。私の心は動揺せず、しかし、私はずっと怒りつづけている。ただ、だからといって、私はいちいち〈正論〉のようなものを吐いたりはしない。小説家は小説を書けばいいし、小説家は小説家という馬鹿者にだけできる行動に出ればよい。そして小説家が本当にただの馬鹿かどうかは、周囲に関わる人間を見ればわかる。こんなにも誰かが助けてくれる。本のPVもそうだが、なにしろ来月下旬に迫った「福島県内の踏破」のための活動に、あまりにも何人も何人もの手を借りられている。私は、この状況をしっかりと噛みしめて、最後のアウトプットで「馬鹿を超える」ということだけを、めざす。

今回は、あとふたつ書いて終わる。ひとつ、書店で『木木木木木木』を購入したとして、お店が用意するブックカバーは、あの本に巻けているのだろうか? 分厚すぎて掛けられません、となっていたら、申し訳ないな、と先日ふと思った。ふたつめ、私のイタリア語版『ベルカ、吠えないのか?』と『サウンドトラック』を手がけ、いまも新しい本の翻訳を進めてくれているジャンルーカ・コーチさんが、第5回ロレンツォ・クラリス・アッピアーニ賞(文学翻訳賞)を受賞した。おめでとうございます。心から、心から、お祝いを。