現在地に戻る、その手前の

現在地に戻る、その手前の

2020.07.25 – 08.14 番外地

眠い。私はまだ番外地にいる。疲労は徹底的に総身に蓄積されている。が、蓄積されているのはそればかりではない。私は情景をたっぷり溜めた。それから人びと(との対話、その記憶)を。私は、先月から「いま、どこで、何をしているのか」を世間的には秘めつづけて、その間に肉体を酷使したのだし、頭脳もまた同様だった。やらなかったのは執筆だけだ。世間に公開する文章を私はほぼ書かなかった。異様な日々だった。

じきに私が「何を、どうしていたのか。誰と、どこで、何をしていたのか」は書けるわけだが、まだ時間が要る。いろいろなことが正直くだらない。私は首都圏にいなかった、とは書ける。そして、首都圏にいない状態を2週間以上維持したならば、その人間は「危険のない『まっとうな人間』」として(ある種の場所においては)扱われるとは、なんなのだろう? このコロナ禍の時代とは、なんなのだろう?

しかし憤りなどはどうでもよい、とも言える。私はこの3週間弱、魅了された。土地に魅了されたのだし人に魅了された。結局のところ、魅力のないものは滅ぶ。私は時どき、魅力のある政治家に出会いたいなと思う。私は時どき、専門家である人びとの見識に徹底して魅せられたいなと思う。なあ、やってみろよ。魅了してみろよ。俺がこの3週間弱の期間にあっちこっちで魅せられたように、「それ」をしてみろよ。(……こう語る時の私は、たぶん憤っている……)

具体的には19日間だった。私はTVクルーとともにあった。そして他にも仲間がいた。仲間は現地にいたし、念を託してくれる形でも傍らに存在した。私はほとんど唖然としていた。こんなにも私を信用し、何かを任せようとしてくれる人たちが、事実、いるのか? と。そして私は、そうした諸事に感謝するからこそ、妥協しなかった。私はたぶん尖りつづけていた。

ひとつの情景を記す。そこはもう首都圏だ。私は2人の仲間とともに電車に乗っている。シートに座っている。夜だ。たぶん当たり前の夜なのだけれども、私には違和感しかない。私は(私たちは)本当にここにいるのだろうか? 私は(私たちは)もしかしたら亡霊ではないのか? このシートに座って、この電車に揺られているのだけれども、私たちの姿は「見られていない」のではないか?

そして思ったのだ。俺は、この俺が幽霊であったって、いいんだよ、と。

今日はそろそろ執筆に戻らなければならない。私は嘘だってつける人間にならなければならない。方便のために。私は今晩、徹夜しながら原稿をしたためるのかもしれない。それだって構わない。ぜんぜん構わないんだよ。俺はもう、倒れるならば前方にツンのめって転がって倒れて、血を流したってオーケーなんだって、実践だってしたんだよ。さあ、これから、余裕で私は「馬鹿者」をやってやる。いい子ちゃんばかりの世の中で。いい子ちゃんが「悪い子ちゃん」狩りをしている、この阿呆な世界で。