記憶するために

記憶するために

2021.01.23 – 2021.02.12 東京

たぶん7か月ぶりの検査だったと思うのだが、右目の白内障がいっきに進行してしまった。手術が必要になった。昨年の夏、福島に出発する前には、それほど問題ないと言われていたので、結局、夏から秋にかけての野外活動というか、つねに陽射しにさらされながらの苛烈な行動が眼球に祟ったのだと思う。しかたがない。撮影された右目の網膜はボロボロだった(正直ショックを受けた)。しかし、私に言えるのは、何かを得るためには代償が要るのだということで、私は、これを代償にして1冊の本は作りあげた。その意味で納得している。

本は『ゼロエフ』というタイトルになった。いま私は連載小説の執筆に没頭するためにこの本の制作のプロセスからは戦線離脱しているので、細かいアップデートをしていないのだけれども、たぶん3月3日に刊行で、その翌日か翌々日には、大都市の書店や、ネット書店での販売が始まるはずだ。また、この『ゼロエフ』の第3部の前篇(約3分の1)は、現在発売中の「群像」3月号に載っている。そのタイトルは『国家・ゼロエフ・浄土』である。本来、この原稿は来月の発売号に一挙に掲載されるはずだった。しかし、原稿を実際に読んでくれた「群像」編集部が、私が〈いったい何をしているのか〉を早めに周知したいと、まさに厚意で2号連続掲載となった。涙が出るほどうれしい。そういえば、涙も目から出る。

連載小説(『曼陀羅華X』)の作業に移る前に、すでにインタビューは複数受けた。全篇をもう読んでくれている人がいることは、本当にありがたかった。そして、その反応も。こんなふうに「届く」本を、どうにか自分のような人間が産み落とすことができて、かつ、まさにこれから「届ける」仕事に入るのだと思うと、逆に居住まいを正さねばという気持ちも湧く。が、その前に、私はなんとか連載小説を仕上げねばならない。あちらにはあちらの世界があって、こちらにはこちらの世界がある。

それから、あちらでもこちらでもない世界がある。私は3月11日に朗読劇『銀河鉄道の夜』を新しい形で上演することにした。タイトルは『コロナ時代の銀河』という。メンバー全員の、ほとんど即座の賛意を得て、このアクションは可能になった。ただただ感謝したい。同日には書店でのイベントも行なう。たぶん『曼陀羅華X』の最新原稿を入稿した、その十数時間後から、私は銀河(朗読劇、かつ、銀河系)のほうに視線を注ぐことになる。そのためにも目が要る。しかし左目もあれば、心の目もある。

東京で緊急事態宣言が延長された、その翌々日のことを書きたい。夜、ベトナム料理店に行ったのだった。フォーをテイクアウトしたのだった。午後7時を回ったばかりで、店内には会社員風の30歳前後の男性がいるだけだった。彼もフォーを食べていた。奥のキッチンにはベトナム人の店員が3人いた。だいぶ熱心に仕込みをしていた。その情景は、いっさいが静かで、たとえばベトナムの人たちであれば、いま現在「故郷に帰ろう」と思っても帰れない、という事情があることは認識している。奥のキッチンには、けれども静謐さをまといつづける熱気があった。男性スタッフが1人、女性スタッフが2人。私のフォーも準備していた。私はその光景を、忘れてはならないと思った。ひたすら奥を眺めつづけながら、私は、左目をつぶってみた。すると視界はいっきに曇った。でも、見える。白いけれども見える。その白さに満たされた静謐なこの小さなレストランのキッチンを、私は忘れないでおこう、と誓った。自分に。