実況を終える

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2021.05.29 – 2021.06.11 東京

起筆が2019年7月1日であった雑誌連載小説『曼陀羅華X』を脱稿した。前回のこの「現在地」で残り枚数は30枚だろうか、うんぬんと書いたが、残り枚数はそれにプラス50枚弱あった。私は結局、『曼陀羅華X』を完結させるために丸41日の集中執筆期間に入り、この間に(完成稿としては)202枚を仕上げた。本来ならば、この41日間に連載3回分の原稿を準備する……はずだったのだが、これは連載4回分の枚数である。ということで、雑誌にどのように掲載されるか(特に最終回がいつ載るか)は現地点では見えていない。しかし、走り抜けた。

自分の通常のペースでいったら、41日間で202枚、は極端に多いとは言えない。あるいは、ふだん私と仕事をしている編集者は「少ないですね」とコメントするのかもしれない。しかしキツかった。ほとんどのシーンがリ・リライトを要求した。いちど書くのが執筆(ライト)だとして、それを書き直すのがリライトで、〈リ・リライト〉とは「さらにもういちど」が要求された……ということだ。だいたいの日々、私は朝と昼過ぎとに書いて、途中で昼食は自宅で摂るだけにして、その後は相当な距離を歩いたり、ダンベルを持って筋トレをしたりした。緊急事態宣言でジムも閉まっていた。やれるのは自分の「監禁」だけだった。まあ、歩いてはいたわけだが。

その歩いていた平均歩数が、昨年の5月を超えるという事態が今年5月に発生して、昨年の5月といったら、私は『ゼロエフ』に結実する作業のために「歩ける身体」を徹底的に築きはじめた時期だったわけだから、結局のところ『曼陀羅華X』の最終集中執筆期間とは異様な時期であった、とひとことで言える。それにしても、去年、いろんな人にお世話になりながら、自らの肉体を自重その他でトレーニングできるようになっていてよかった。その息が詰まる日々、外の空気を吸う以外に、私が自分を(わずかでも)解放する術はなかった。それが不織布マスク越しの外気だとしても。

もしかして、2日ほどは脱稿が早まるんじゃないか、と今月に入って思った。甘かった。あらゆる登場人物が、そしてあらゆる事象(ここには伏線も含まれる)が、私に「書き切れ」と迫った。「あたしのことを4枚で『ちょちょい』と終わらせるだって? 許せるもんか。プラス10枚だろ?」などと具体的に威圧してきた、のだった。しんどかった。しかしながら、脱稿日が、物語内の日付+曜日である「6月5日(土)」で本当にキマった、というのは、じりじりと私自身を痺れさせる感慨をもたらす。その日のうちに『曼陀羅華X』の担当編集者のシ君が読んでくれて、その日のうちに「大傑作です!」と言ってくれて、自分がというよりも作品が救われた。

そうなのだ、いっさいの闘いは「この小説(『曼陀羅華X』)を救済できるか?」だった。死にかけた小説を。のっけから私に首を絞められて、葬られようとまでした作品を。だが、私は生かしたのだったし、最後は物語が自立した。

その「最後は……」の時期のはじまりは昨秋にあったわけで、この頃から私は、そこまでに自分が書きためた原稿(その3分の2のパーツが最終的に廃棄された)を、ある意味では「リミックスする」ように完結まで筆を進めていった。この行為のことを簡単にふり返ると、リミックスとは(私=古川にとっては)批評なのだな、とわかる。私は私自身の物語を批評していったのだ。そうして、そのような批評を通して、第二の生、いいや第三の生を獲得させたのだ。

私はいま疲れ切っていて、しかし新たなふたつの作品(プロジェクト)に関して発想を得た。それを膨らませながら、休み、けれども準備しようと思う。結局、準備のためにはつねに1日に10時間前後は要る。「休めないんだぜ」とは言えるが、しかし休みスイッチを半押ししよう。それにしても暑すぎる。いったい世界はどうなっているんだ? そういえば東京五輪は、どうなった?