もはや「面白がる」しかない

もはや「面白がる」しかない

2021.06.26 – 2021.07.09 東京・神奈川

いちおう現代史の記録のつもりで記すのだけれど、今回の「現在地」を書いているのは7月9日で、昨晩、東京には4度めの緊急事態宣言が発出されることが決まり、今朝、目が覚めたら、1都3県の「東京オリンピックの会場では、無観客」が決定していた。ええと……計算するまでもなく、オリンピックの開会というのはわずか2週間後なのであって、しかも被災地の会場では有観客でやりますぜ、と言われると、「イエー、さすが復興五輪だねっ」と、半畳を入れる気にもなる。こうした状況は、私ごとき一介の小説家のイマジネーションを何次元ぶんか超えて、しっちゃかめっちゃかである。

そして、しっちゃかめっちゃかなうえに、大変な人たちばかりだ(自分も含めて)。これほど暗鬱な時代はちょっと体験したおぼえがない。私はそういうわけで、私のもっとも尊敬する文学者の、ミズ・グルーミィ Ms Gloomy をひさびさに召喚することにした。その通称に〈紫〉が付いている、あの方である。しょっちゅう「憂し……」と言ってくれる、わが大先輩の物語作家である。私は、オリンピックとパラリンピック(なんか今度の緊急事態宣言の発出はパラのことを完全に無視している気がするのだけれども、もちろんパラはやりますよね?)後の日本が、「うわー、潤ってますっ。いろんな意味で!」となるとは全然予想できないので、そこから生じるであろう日本という国家の空白・空虚に嵌め込む〈何か〉の準備に入った。というわけで私はしばし古典モードである。

それだけじゃないけどね。

ただ、しっちゃかめっちゃかな現実にしっかり対峙するためには、「頭を低くする」ことは要る。みたいなことはいつも思っている。普通だったら「つきあってらんねえや」とも思うのだけれども、今回はそこまで突き放さない。オリンピックの開幕当日になんて、私は24時間とか〈それ〉を観察してやるつもりである。いいよ、もう「面白がる」よ。とことん。だけど五輪とコロナと震災(東日本大震災)とこの天災続きの数年来のことは、全部まとめて考えるからね。「ええと、なんでしたっけ? 忘れちゃった。てへ」とか言うんじゃないよ。

ところで私は誕生日がじきで、そこで55歳になる。私は、44歳の誕生日の前後に『4444』という掌篇集を出した。ここには44本の(ゆるやかにつながった)お話を収めた。この本の担当編集者のサさんと、対面でお茶をする機会がこの春にあって、その時に「俺、55歳の誕生日に『55555』って本、出したかったんだよね」と言ったら、「あ。いまから作りましょうか???」と真顔で返してくれて、うれしかったのだけれども、ところがこの春からこの初夏というのは、私は『曼陀羅華X』の脱稿のために人生すべてを懸けなければならない時期が控えていたのだった。つまり55本の掌篇を超高速で執筆する余力なんぞはゼロであった。「いや、あっ、……うーん、無理かも……」と返答せざるをえなかった自分が悲しい。というか虚しい。こうなると次善のプランは66歳の誕生日に、66本の掌篇を入れた『666666』というのを刊行、となるのだけれども、ちょっとばかしゾロ目のその書名は不吉すぎるので、そうした本は出さないと思う。

さて。この〈しっちゃかめっちゃか〉を超えて、時代は激変する。もはや往時の平穏は戻らないし、まあ腹をくくらなかったら駄目だ。ということで、私はくくった。まずはここから5年の、(中短期の)目標というのは見定めた。そういうわけでやりますので。あと健康にも注意しますので。