まとめる

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2021.07.24 – 2021.08.13 東京

この3週間の印象をまとめる。つまり、私はこれから東京オリンピック開催をうんぬんするわけだけれども、シンプルに言葉を出す。開会式と閉会式(どちらも全部観た)に触れて思ったのは、われわれに必要なのは「どういう姿を見せたいか」と「どういう姿になりたいか」だけなのだ、ということ。われわれというのを、日本人と言ってもいいし、日本と言ってもいい。そして、人間はだいたい、「どういう姿を見せたいか」の気概を持たないようになった瞬間から堕ち、「どういう姿になりたいか」の模索のような努力を止めた瞬間から腐る。

アスリートたちにはそれがあった。彼らは、自分の〈見せたい姿〉を持ち、そして〈なりたい姿〉を当然ながら持っていた。だから奮闘した。すばらしいことだった。

で、われわれは? との問いが来る。

私は、ひじょうに残念だが、いま日本がどうなっているのかを知った気がする。たぶん「いや。コンセプト的に、あれが見せたかった姿なんだ!」との反論もあるのだろう。しかし、もう少し考えてほしい。私はいまさっき、〈見せたい姿〉と〈なりたい姿〉というふたつを掲げた。ここはイコールでは結ばれない。そして、そこに距離があるからこそ、人間は、あるいは国家は、努力というのをする。

「このままの姿を見せますよ」という宣言は、努力放棄をアナウンスすることでもある。ああ……はいはい……あんたはリングを下りたんだね、という気持ちになる。その〈あんた〉というのが、自分を含めた日本人だとか、日本という国だということになっているのかと思うと、私は困ってしまう。うんざりもする。

私は下りていない。そして、他にも下りていない人たちがいっぱいいることを、私は認識している。