30年が過ぎて、まだ死んでいない。まだ諦めていない

30年が過ぎて、まだ死んでいない。まだ諦めていない

2021.09.25 – 2021.10.08 東京

とてもとても個人的な記憶と祝福をここに綴るのだけれども、私が勤め人をやめて、あと数日で丸30年になる。どのような経緯があって、どのような背景で、どういうドラマといかなる人たちを登場人物に、自分の退職劇が行なわれたのかは、じつはベニー松山さんとの特別対談という形で、このウェブサイトに掲載されている。まっさきに思うのは「あれから30年かあ」の感慨であり、なにしろ以降、私は一度も就職(再就職)をしていない。小説家になる直前および直後の数年間にあっても、「何かを執筆する」という作業をもって、どうにか生計を立ててきた。〈文筆〉でそれができていた。

そういうのは奇蹟だと思う。なにしろ私は、この30年間、ほとんど己れをまげなかった。ベニーとの対談のなかでも「書い(て渡し)た原稿を、引っ込める」という挿話というか私の性質のことが語られているけれども、じつは今年に入っても、同じようなことを1回やった。ある小説を執筆したのだけれど、納得できないことがあったので、「今回、掲載はなしにしてもらいたい」と突きつけてしまった。この1件は、先方との相互理解に至る大変にグッドな結果となったので、まあ……結果オーライだったのだけれども、いまだに俺はそういうことをやるのか、と自分でも愕然とした。なにしろ、そんなことをしたって、自分の収入が減るだけである。日の目を見ない原稿が生まれるだけである。

それでも、やるのだ、というのが自分だと知って、やはり30年間を作家/文筆家として生きられている現実に、感謝するのだ。ほとんど断言できるけれども、そういう世渡りの仕方では、さっさと身を滅ぼす。たぶん、若い人たちに向かって、私は絶対にそうアドバイスする。しかしながら、信念を曲げない小説を書こうと喰らいつづけることや、〈表現〉とはこういうものだという意思を裏切らないように生きようと努める姿勢は、とどのつまり私を生き残らせた。当然ながら、「古川日出男」という作家がそういう面倒なイメージ、シリアスなイメージ、鬱陶しいイメージを持っていなければ、私はもっと大儲けしているのだろうな、とは思う。いっぽうで、「大儲けしたいんならば、他の仕事を選べよ」という正論も、私は自分に対しても他人に対しても突きつけられる。

自分が、まだ作家として死んでいないことと、人間=生命体として死滅していないことと、それから30年前に望んだものを現在もまた手に入れようと足掻いて、諦めていないことを、祝福する。時どき勘違いしている人に出会うことがあるのだけれども、私はこの人生で、自分の望みをほとんど成就させていない。私は、まだ何も手に入れていないに等しい。だとしたら、道はふたつ、さっさと諦めるか、30年続けたことを30年と1日後にも続けるか、だけである。

というわけで、新しい小説も書きだした。いまだ紫式部に関係する/直結する原稿の発表もすんでいないし、単行本『曼陀羅華X』の作業もぜんぜん終わっていないのにもかかわらず、私はどんどんと新しい宇宙に入っている。だってさ、朗報を待っていたってさ、気がついたらアバラ屋で髑髏に化けているだけだぜ。〈待つ〉よりも私は獲りにゆきたい。