雉鳩荘から「こんばんは」

雉鳩荘から「こんばんは」

2022.04.09 – 2022.04.22 東京・埼玉

あまり煽情的にも自己憐憫的にもならない書き方をしようと思ったのだけれども、もともと考えていた書き出しのままのほうが伝わりやすいかもしれないので、そう書いてみる。私は「群像」誌に連載している小説『の、すべて』の、次号分の原稿を、落とした。すなわち次回は〈休載〉となる。これは私の作家人生で、初めての出来事だ。私は基本的に、全部の締め切りを守りつづけてきたから。

その『の、すべて』の締め切りの日、私は、前の日に書いた部分がまるまる推敲を要求していることを感じた。10枚以上あった。それを、本当に1行残らず、書き直していった。すると、書き直しが終わった時点で、その日の夜になりかけていた。ある意味では、私は推敲なんぞをしなければ、ちゃんと締め切りは守れた。しかし、「そのパートの書き方が、誤っている」と認識しているものを発表してしまったら、どうなるのか? 答えはわかっている。いずれ、その小説が〈死〉に向かって進み出すのだ。

だから私は、その、締め切りの日の夕暮れの頃に、担当編集者のキさんに連絡して、その1、今回は原稿を落とす、その2、明日とかに締め切りを延ばしてもらっても、明日も明後日も明々後日も、締め切りだの対談だの打ち合わせだのがあるので(たしか、よっつはあった)、思いっきり延ばしてもらう、という提案をして、キさんは、「締切を少し延ばしたとしても、焦って(古川が)執筆することになる。それはベストではない。今回は落としましょう」と言ってくれて/選んでくれて、私は初めて、小説家として原稿を落とした。

そういうことだ。まいったな、と思うし、なにかスッキリもしている。こうなったら『の、すべて』を傑作にしてやる、と考えている。いや、もう、本気で考えているのだ。

私はこのウェブサイトに「セルフ解説」をスタートさせて、それは「古川日出男がわかりづらいとしたら、古川日出男について古川日出男が語っていないからではないか?」と気づいたからで、この「現在地」という連載も、古川日出男をわかりたいと思っている人(たぶん国内外で併せて30人ほどいるんじゃないかと想像する。35人いたらうれしい)たちのために、いつも率直に書いている。このあいだは、「そうだ! あの映像『コロナ時代の銀河』は、もしかしたら難しいと感じている鑑賞者もいるかもしれない。だとしたら、いっぱいヒントを出さないと!」と思って、セルフ解説の『コロナ時代の銀河・註』を出した。これを読んでもう1回(というか、初めてでもよいんだけれど)観てもらうと、いろんなことの感じ方が変わる。今月(4月)の9日にだけれど、管啓次郎さんが日本経済新聞に「コロナ時代の銀河」と題されたすばらしいエッセーを書いて発表してくれて、そういったことにも私は触発されている。

で、率直に古川日出男が古川日出男を、の話に戻ると、私はここ雉鳩荘から、なんと毎月1回ラジオ出演するという挑戦をはじめた。NHKの「ラジオ深夜便」内のコーナー、その名もずばり「雉鳩ノート」で、アナウンサーの渡邊あゆみさんとおしゃべりさせてもらっている、というか、渡邊さんにいろいろ訊いていただいて、私はなんとか素のままで答えている。素のままで、というのは、なにしろキッチンに iPhone を置いて通話しているだけなので、これぞ普段着のモードというか、放送後に鏡を見たら髪の毛の寝癖が凄かったので(この日はまる1日、私は寝癖が凄かったわけだ……)、これぞリアル普段着のウルトラ寝癖モードだ。たぶん、今後も雉鳩荘の庭のこととか、そこからの〈発見〉の数々のことなんかを、話していきそうである。

じつは番組では語らなかったが、昨日は庭のあちこちにヘビイチゴが実りだしているのを〈発見〉したのだった。きれいな黄色い花があるなあ、と思っていたら、それはヘビイチゴのそれだったのである。小さいし愛らしい。もちろんヘビイチゴというのは、無毒で、食べることもできる(美味しくはない)。で、それに気づいた時には、私はワイルドストロベリー、要するにノイチゴの苗を幾つか買って準備してしまっていて(前日のことである)、これをヘビイチゴの群生の数メートルかたわらに植えた。これってどういう交響かなあ、と未来を楽しみにしている。

ぜんぜん関係ないことを最後に綴ると、私の最新戯曲『あたしのインサイドのすさまじき』は、警察病院を舞台にしている。東京都の警察病院、といえば、むろん中野のあの警察病院が直接的なモデルである。いったい私がどういう取材を経て、そこでの戯曲を成立させたのかと言えば、私は、そこに入院して、両眼の手術をして、その期間中や、それに先立った診察だの検査だのの時期に、看護師さんにいろんな質問とかもしてしまって、ひそかに突撃取材していたのであった。私は、考えてみると、こういうことも率直に語ったことはない。語るようにしないとなあ、と反省している。だって、あの入院を経て、私はこの自然の豊饒さをたっぷり眺められる〈視覚〉を得たのだからして。そして、戯曲『あたしのインサイドのすさまじき』だって、自信作として完成し、発表されたのだからして。