もはや緊張感しかない

もはや緊張感しかない

2022.09.24 – 2022.10.14 東京・福島・埼玉

向井秀徳さんとの早稲田大学でのイベント『A面/B面』の報告から入るが、やろうとしていたことは、すべて達成した。レコードが「カッティング」されるライブ映像が背景に映し出されるなか、私たち向井秀徳+古川日出男は読んだし奏でたし歌ったし、語ったし、たとえば「あと1分しか残っていません!」のサインが出るや、その前の「あと3分です」のサインを見逃していたのは私なのだけれども、向井さんにガッと行きましょうと言って、ガッと行った。それがA面のおしまいで、B面は向井〈凄いアコエレ〉でドッと入って、そこに私も朗読を乗せていって、徹底的にグルーヴを追求して、しかし私は〈文学〉であることをやめず、A面ですでに宮沢賢治を召喚していたが、C面まで坂口安吾を召喚しきった。

この、C面までできてしまったのが凄い。要するにアンコールをやった。内容は何も打ち合わせていない。そして、このアンコールもまたカッティングしてレコードの盤にするというのは、エンジニアの山根アツシさんのチームの現場での判断で、私と向井さんは正面を向いて演奏・朗読していたから「レコードがもう1枚、いま生まれている」と知らずにいたのだが、聴衆は気づいていたわけだ。なんというか、それはもの凄いことである。この『A面/B面』のネット上の告知ページに、企画者、エリック・シリックスさんの『こんなデジタル時代になぜレコードを刻むのか』という宣言文が載っているが、それをまあ、我々は実践した。我々というのは、たぶん、壇上の向井+古川と、そのステージ裏にマシンとともに控えて、緊張をガッツリと前景化した山根アツシさんの Altphonic 社で(ちなみに山根さんは ASIAN KUNG-FU GENERATION の『プラネットフォークス』のアナログ盤を手がけられているのだった。なんという縁だろう)、PA の高橋さん他スタッフ、そしてオーディエンスである。いちばん緊張していたのはオーディエンスではないのか? なにしろ失敗は許されない。なのに、壇上にいる古川も向井さんも、正直言ってリラックスし切っていた。そうなのだ、だってヴァイブスがいっしょなのだもの、ぜんぜん焦らなかった。このリラックスは、前日から会場入りまで、そして会場に入ってからのサウンドチェックを中心とした時間に至るまで、一瞬も「ぬるい」気持ちにならなかったがゆえ、である。

結局のところ、リラックスを生むのは緊張でしかない。この後、レコードのプレス等がどうなるかは、またシリックスさんらが詰めるのであろう。そしてその間に、向井秀徳と私は、さらに坂田明さんも迎えて、11月8日に『皆既月蝕セッション』に挑む。前回の「現在地」で報告した感じよりも、「なんか凄いことになる感じ」がしている。言ってみれば、そういう感じが感じられている。というか、たぶん大概の人は5年前の高知の五台山竹林寺で起きたことを知らないので、その映像に触れる行為自体が、是非やってもらいたいことだ。しかも、この日のためのセッションがそこに衝突する。それをイメージするとやはり緊張しかない。そして、たぶん当日の、その月蝕が日本を覆っている時間帯には、私はリラックスしているのだ。

英語版「MONKEY」誌に、私の『ゼロエフ』から第一部「福島のちいさな森」が英訳されて載った。柴田元幸さんからのリクエストで、私は実家のシイタケの写真を提供することになり、もちろん私自身はそうしたものを撮影していないので、兄に提供してもらった。「福島のちいさな森」は、この兄に私(という9歳離れた弟)がインタビューする状況がメインになっている。その兄が、かつての原木栽培のシイタケを、その後の菌床栽培のシイタケを、撮影したものが誌面を飾り、しかも扉は、本当に美しい1葉のシイタケの写真で占められた。撮影者のクレジットに、兄の名がある。私は、こんなふうに「兄弟の合作」ができるとは思っていなかった。本当に本当に感動した(その背景には、兄がいま癌と闘っているという事情もある)。Kendall Heitzman さんの手で英語に生まれ変わった文を読みながら、私は、こみあげてくる感情を抑えきれなかった。

私は緊張感を持って生きている。この「現在地」は、ある意味では公けの場なので、書けないことも多数ある。そうしたものを抱えながら、緊張感に圧されて、しかし前進を続けている。

私は先月の下旬には福島県の南会津に行っていて、今月の上旬にはすでに9年続けている福島県主催の文学賞の審査のために福島市に行っていて、明日(2022/10/15)には講演のために郡山市に行って、そうやって往き来しながら、ハード極まりない日々を生きている。だが、たとえば今日発表になったにも等しいのだが、南会津を見てまわるようなことができたのは、統合で来春生まれる「南会津高校」の校歌を作詞するためで、そういう依頼が自分にあり、そういうことを文学者としての古川がしてよいのだ、との重さを、引き受けているからである。緊張する。だからこそ、あとはリラックスするだけだと思う。たぶん校歌の〈詩〉というものは、私が私用に生む言葉ではない。最初から、高校生たちのもの、その学校に通い、「通った記憶を持つ」人たちのものだ。

生んでみるしかないから、生んでみる。

私には目下、時間はまったくない。だが、この「現在地」には記さないでいるプロジェクトは、もろもろ進行している。そしてなにより、私は書いている。私がどこまで連載小説『の、すべて』の深みに潜ったか、いつか単行本が出る頃に、ちゃんと語ってみたい。ちなみに『の、すべて』は、次回から第3部に入る。私はとにかく前進するのだ、物語とともに。

それと、本になって出る詩集(長篇詩)だが、すでに再校ゲラの確認も終えたのだ、と短く書いておこう。こういうのをさらに世の中にドロップすることに当然ながら緊張するわけだが、これほど時代状況が無茶苦茶ないま、〈逃げ〉という選択肢はどこにもない。私は確実に、相当に、この時代(=「現代」)に頭にきている。