本気になる

本気になる

2022.10.15 – 2022.10.28 東京・福島・千葉・埼玉・神奈川

こうやって「本気になる」などという標題を掲げると、それでは私・古川日出男はいままで腰を据えていなかったのか? と問われてしまうわけだけれども、どうなのだろう、この1年と少しの間の私はやっぱり少しは遠慮はしていた。そうした事態に関して、私は、たしか3回前の「現在地」だったと思うけれども、自分はもう「いい子ちゃん」はやめる宣言をして、何かを伝えんとした。正直に語ると、どうもここのところ、自分が〈本領〉を発揮できない状況が増えている。と同時に、ここで〈本領〉をドバッと私が発揮してしまったら全体がボロボロ崩壊してしまい、マズいことになるな、と直感される局面も多いのであって、私は残念ながら真っ当に社会的で大人な人間であるので、そういう時には何をするのかというとそういう時には「借りてきた猫」をしている。

それは今後も続いてしまうのであろう。そして、私はわざわざ古川日出男のウェブサイトを覗いてこの「現在地」を読んでくれている人たちに伝えたいのだけれども、「あれ? いまの日出男って……」と疑念を覚えることがあったら、「……ああ、そうか。日出男さんは、いま猫してるんだね」と理解してほしい。今後、〈猫する〉という動詞はキーである。そういうふうに理解してくれる人たちにサンクス。で、そういう〈猫する〉必要のない場面だけれども、私は、これは新しい宣言になるのだが、ひと段階レベルを上げることにした。

ところで、さて。今日(2022年10月28日)は何の日であろうか?

今日は私が雉鳩荘に転居してから、2年めの2日めである。

そうなのだ。ここ雉鳩荘での私の暮らしが、無事に1年めを終えて、つぎの年に入った。その「入った」がらみで話題を続けると、私はじつは新作の執筆にも入った。これは小説ではない。しかしながら、私が執筆に臨む時、あらゆる対象は文学的に腑分けされる。というわけで、その新作というのはノンフィクション(=非「小説」)ではあるのだけれども、当然フィクションの力によって駆動されている。私のいまの仕事の状況はとんでもないものであるから、こんな時期に新作を起動させるのは無茶というか、無理無体というかベラボウというか乱暴というか、俺なにやってんだよ死んじゃうじゃんこれじゃあ、なのだが、しかしスタートさせた。起筆後の何日か、私はほとんど歯が折れるかと思った。じつを言うとわたしは過去に、それは具体的には2016年3月の、小説『ミライミライ』の連載第1回の執筆のさなかになのだけれども、ぎりぎりと気合いを入れすぎて前歯を折ったことがある。私はそういう時だけは、他の同業者に、「あんたも歯が折れるぐらい本気で書いてみろよ」と突きつけたい気持ちになるのだが、こういうのもハラスメントなのだろう。何ハラ? そして私が思い出すのは、ああ、いまってハラコ飯の季節だなあ、ということで、それが何かを知りたい人は『ゼロエフ』の第3部をブラウズするか、さっさとネット検索してほしい。

ところで来月発売の「群像」から、連載小説『の、すべて』は第3部に突入する。どこにも「ここから第3部です」などとは書いていないが、しかし、そうなる。きっと次第に私の言う、本気、に関して、理解されるはずだ。この小説は第1部、第2部と、どんどんと化けの皮を剥がすというか、脱皮する。私が意図しているのはそういう怪物的小説である。

それと、「詩を書いた」という話はこの場でも幾度かしているけれども、その長篇詩のための後記も私は書いて、入稿して、ゲラも戻した。この長篇詩の具体的なインフォメーションは、じきに、本当にもうじき、出す。ミニマムに出版するよ、とは言っておこう。ミニマムにしか販促はしないんだけどさ、とも。でも、それは裏返したら、親密に出版して、親密にあなたに訴えかけることだよ、とも言い換えておこう。私は、できるかぎり読者とほんとに〈親密〉になれる場も設けたい。私はこれから詩を発表するわけだから、詩人にもなる。たぶん、まだ詩人の古川日出男に会ったことのある人はいないはずで、そういう古川にも会ってみたい、と思う人たちのために、機会は設ける。いらっしゃい。会いましょう。

それと「皆既月蝕セッション」もいよいよ間近に迫った。このセッションの存在のあり方は、もうひと捻り、する予定だ。「存在のあり方」という抽象的な表現は、いまちょっと情報提供が遅れているので濁した……というそれだけだが。予告映像もじき出るはずである。いまいちど繰り返すけれども(というか、ちゃんと説明したことはあったんだっけ?)、今年の11月8日は満月である。この日の夜、イベントをする。かつ、今年の11月8日は皆既月蝕である。その時間帯に、セッションをする。セッションとは「本気の激突」である。セッションとは「火花」である。セッションとは「声と音と魂の、爆発的交流」である。そういうのが、坂田明さんと向井秀徳さんと私とのあいだで行なわれるのだけれども、そういう説明はちょっと嘘だ。そういうのは、あなたたちオーディエンスと私たちプレイヤーのあいだで行なわれるのだ。

私たちに火をつけるのはあなたたちなのだ。私は文学をする。あなたたちは読者であるのと同時にオーディエンスになる。つまり「耳で感じる文学」が生まれるのだけれども、そういうのの日本文学史における〈先輩〉は、なんだ? もちろん『平家物語』なのだ。オーケー、私は本気の後継者になる。

あと、私は、メディア・アーティストの藤幡正樹さんが企画された「My First Digital Data はじめてのデジタル」展に参加した。ここには12年以上前に私が撮影した写真を複数出展した。ウェブで眺められるので眺めてほしいのだけれども、そのウェブには全作品の私による解説が付されているので、併せて読んでほしい。すると、それらは、やっぱり〈文学〉になるはずだから。ここにあるのは、私がどのように世界を観察しているか、この世界と接しているか、のひとつの証明である。さてさてさて、こうなったら〈本気〉をどこまでも貫いて、あらゆるものを薙ぎ倒す勢いになってみようかね。いや、別に、敵を作る気はないんだけどさ。でもだんだん、ここのところ、私は世界がどうにもこうにも崩壊寸前で、かつ、私を舐めている気がするのだ。