人には過去がある。それはどういうことなのだろうなと考えつづけています。こうやって周囲の助けを借りて作家デビュー20周年記念のウェブサイトを開いて、デビュー20周年記念の長篇(『ミライミライ』)を刊行して、「この20年間はどういうものだったのですか?」との真摯な問いを受けて、回答して、いまもまた、自分の20年間の作品群=それらの織り成す宇宙を見据える作業に没頭していて、でも、当然ながら、僕には21年前もあれば、22年前だってあります。このことは、大事だと思う。いや、そんなの、誰だって「大事だろ」と言いそうですが、20周年を祝っている(し祝ってもらえている)からこそ、デビュー作『13』刊行以前の時期に、光を当てる必要があると、少し前から切に思いはじめました。そこでベニー松山さんに打診したら、僕との対話を、快諾してくれました。「さん」と付けると他人行儀なので以降は呼び捨てにしますが、ベニーは、間違いなく僕が作家になる過程をもっとも近いところで眺めていた人間です。つまり『13』が出る前の7年間、あるいは8年余を知っている。むしろ並走してくれた(というか、こちらが並走を乞うた)。彼の言葉、それから、彼との対話、これをアーカイブする必要を感じたし、ベニーもまた感じてくれました。というわけで、対談をしました。このウェブサイト用にです。いずれ、遠からず公開します。ところで、こんなふうにウェブサイトの充実を考えて、たとえば仕事場の隅に転がっているような段ボール箱も開けたりしているのですが、そうしたら、『ベルカ、吠えないのか?』の貴重な資料(自作)を掘り出してしまいました。これも、いずれ、アップすることができたらと考えています。思わず「わー!」と叫んでしまいました。などと明るいことを書いていますが、三田村真さんとの仕事が終盤に入っていて、神経はずっと張り詰めています。僕は、DJの彼といっしょに、過去のほとんどの作品を《音》として聴いています。前回、「古川日出男の20年間を通観できる本」を制作中であるとアナウンスしましたが、通観するために要るのは(いわゆる)《物語》ではないのだ、と痛感しているのです。通観、痛感、と韻を踏んでしまうほど、むしろ《音》が肝になっている。自分では想像もできなかった1冊が、形を現わそうとしています。季節としては、秋に、この作品を上梓できるのではと思います。またお知らせします。そんなわけで、20年間を見据え、それに先立つ数年間を見据え、結節点となる『13』の単行本をひさびさに手にして、この本を出した時、自分は「こいつの親なのだ」と思ったことを、鮮烈に振り返りました。作家の自分は、つねに本に対して親であり、本は、子である。そして、子のためにやれることは、「その子が自立するのを促すこと。助けること」である。しかし……しかし、俺はずいぶんな数の子をなして、しかし、自立させられたのか? 20年(という、まさに成人に達する年齢=歳月を)生き残った本はあるのか、あるいは、生き残れるような可能性を孕んだ本は、何タイトルあるのか? 責任が問われている、と痛感します。この「痛感」は、まさに「痛みとして感じている」です。だが……だが。痛いと言えるのならば、いまだ痛覚を有しているのならば、僕はしっかり生きている。親が生きているのだから、打つ手はある。
20180503