疲労が感染しました。当サイトに再掲が始まった10〜11年前の文章「絶賛過労中」を読んでしまったためです。自分の文章にこれほどショックを覚えるとは。複雑な心境になりました。……とは、柔らかな言い方で、いや、もう、まいりましたね。じつは今回のお便りは、書き出すのがこれで4度めです。つぎつぎと没になっている。没にしているのは自分ですが。なにしろ文体がどうにも定まらない。「絶賛過労中」のせいで、文章そのものまで感染に遭ってしまっているのだ、とわかります。僕は、「絶賛過労中」の原稿データはこのサイトの開設前にまとめてスタッフに渡していて、ぜんぜん読み返していなかったのです。そして、読み返すことを(少しは)楽しみにしていたのです。だからこそ、京都旅行中に(僕は京都に取材旅行に出ていたのですが)読みはじめたのです。いや、もう、凄まじかった。躁状態の文体のようにあれは映ると思いますが、それと同時に、躁を「演じているのだ」とも言える。なにしろ、初めのほうでは、(1)死にそう、(2)頭がおかしい、(3)書きたい、としか語っていない。そんなふうに思えてしまう。まあ、(3)の「書きたい」に関しては、現在も同じことを言いつづけていると、これは自覚しているのですけれども、ありゃあ、あまりにシンドい。けれども古川日出男という小説家は、いまも生きて、ここにいて、文章を綴っているわけですから、そのシンドさを乗り越えて(はたまた単に通過して?)「絶賛過労中」期である2007/2008年を突破するのでしょう。続きが読みたいとも言えるし、やだとも言えるし、うーん、しかし、皆さんには笑って読んでもらいたいです(ホントか)。疲れ切る前に話題を転換します。京都では、最初の30時間弱は洛中には入らないで時間を過ごしました。京都市内には、ちゃんと滞在していたのですが。僕はどうしても《外れ》に惹かれる性なので、《外れ》に浸ってから洛中に上がったわけです。すると、えっと思うほどの外国語率の高さにびっくりしました。外国人率ではないですよ。東京でも、外国人率は凄いことになっていますから。でも、京都では、「これはもう京都の公用語は、日本語+αだな」と思えてしまったわけです。それからまたJRの京都駅が、ほとんど空港にも見えたわけです。人びとの行き交う様子や、スーツケースが視野に入る量から言っても。そして、個人的に興味深かったのは、京都から東京に向かう帰路の新幹線、その車中もインターナショナルな旅行客でいっぱいだったのですが、誰もが「途中でモードを変える」雰囲気があったことです。京都駅が、京都空港で、あるいは京都市内(≒洛中)も空港ターミナル内で、そこから出ている鉄道の1本が東海道新幹線なのか……。そういうわけで、よい取材はできたのですが、頭はクラクラです。自分の過去も心配ですが、自分の現在も心配です。今度の日曜日から、本当に大量に原稿を執筆することになります。さあ1億枚書くぞー(嘘です……)。
20180524