書いている語っている泣いている。それがこの11年間だったのだなと、ある本の作業を進めながら思っています。ある本、というのは、言葉を濁す必要もないので以下に説明しますが、近々僕はインタビュー集を刊行します。僕がだれかにインタビューした本、ではありません。僕がインタビューをされた本、であって、しかも、あるひとりの人物にされ続けた記録、です。それは批評家の佐々木敦さんです。最初に雑誌の取材でお目にかかったのが2006年4月、そして、きちんと活字になる「対話」を始めたのが翌年で、最新の(きちんと活字になった)「対話」が雑誌に載ったのは今年。また、その間に、無数のトークを重ねてきました。このうち、きちんと記録が残っていたものを、じつに9回分、1冊の本に収録します。この本のための語り下ろしの「対話」もする予定なので、数はもっと増えます。それにしても、同じ相手とこれだけの期間、これだけの時間、語りつづけたのも驚異的ですが、その長い長い時間のあいだの自分の変遷と、あるいは変わらなさ、そういったものも驚きです。この本の原稿をチェックする作業は、楽しいというよりも「つらい」もので、なぜならば、ある瞬間ある瞬間、本当に古川日出男という作家は苦境に落ちていて、にもかかわらず、そこから小手先ではない突破を図ろうと、むしろ「より茨の道」を選んでしまう……ということを繰り返しているのを、まさに目の当たりにするからで、それを当人が再認するというのは、なんとも厳しいところがあった。しかし、じゃあ苦しい(だけの)記録なのかといったら、どこかでハッとするような突破を見せる。そのことを佐々木さん相手に、語り、あるいは、語ることを引きだされている。佐々木さんも、よくもまあ、こんな僕のような「書きつづけて書きつづけて、それでもまだ産もうとして」自ら苦境を選択する作家を、正面から受け止めてくれたものです。そして、意識や思考がいきなり《高み》にあがった瞬間、あるいはそうした時期、もっと《高み》を増加・倍増してくれた……そのことが刻まれていて、これはまるでインタビュー集というよりも、「ひとりの作家のドキュメント、のふりをした、ひとつの『作家小説』(=芸術家小説、のサブジャンルのような)」じゃないかと、ある種呆然としながら、いや愕然としながら、そして少なからず心動かされながら、ひとまず原稿チェックの段階は通過しました。ちなみにイベント・シリーズ「フルカワヒデオ、戯曲を読む!」は、そういえば案内はしていないのですが毎回僕と佐々木さんのアフター・トークが行なわれています。次回(6月30日)にも、当然やります。ああしたトークの、あの熱を残したまま、もっともっと「本として熟成」された1冊に、このインタビュー集はなる予定です。作家デビュー20周年を迎えて、自分にはもはや「隠すところ」もないので、だったら一気にとばかり、もろもろ全部を晒します。そして、それが、「本(小説)を読む」人たち全員に、なんらかのプラスがあるように、そうした着地に至るように努めます。それにしても、本当に、こんなに話してきたのだ。こんなに書いてきたのだ。語っても書いても、泣き言をこぼし続けて、けれども、どこかにはたどり着いたのだ。そして、ここも、出発点なのだ。僕は、今日も書きました。今日も小説の連載原稿を入稿しました。また明日も、本を読み、書きます。
20180614