その日を通過できました。その日、とは誕生日です。7月11日(憶え方はセブンイレブン)の誕生日に至るまでの数日間、とても烈しい時間が過ぎました。不安にうちのめされるような局面もあったし、歓びに充ち満ちる場面も。「不安」のほうは、僕の私的な暮らしに関わるもので、こうしたお便りに公けに書き記すような類いではない(と思われる)ので省きますが、ひとまず誕生日の前々日には「いまのところは極度に焦慮しないでよい」状況に至りました。だから、歓びのほうを綴ります。たとえば奈良美智さんに、不思議な、というよりも僕が魅入られざるをえない馬頭観音のある地に案内してもらったこと。石碑は、「自分たちはここにいるよ。自分たちは忘れ去られているよ。自分たちには、馬の頭がみっつあったり、ふたつあったり、ひとつだけだったりするよ」とそれぞれに語っていました。その語りかけ方が、「自分たち(=石碑の馬頭観音群)は、あなたたちのことは忘れ去らないよ」と告げているようで、何かが圧倒的な、決定的な気がしました。奈良さんといっしょにいると、僕はどうしてだか大抵すっかり自然体になってしまって、本当に「感受すべきことを、そのまま、ただまるごと感受する」存在に変ずるのだと改めて気づきます。同じ力は奈良さんの作るペインティング、彫刻、ドローイング、全部にある。単純な言い方になってしまうけれど、それは/それこそ、すばらしいことです。それから誕生日の前日、というか前夜、「ほぼ日の学校」で99人の受講生を相手に2時間30分の授業を行ないました。「用意したテキスト(戯曲、シナリオの一部)をみんなの前で読んでもらいたいんだけれど、だれか志願者いるかな?」の声に12人もの生徒が応えてくれて、そこでの演技、熱意、そして理解力の見事だったこと。「それじゃあシェイクスピアの『マクベス』と黒澤明の『蜘蛛巣城』を、どんな共通の要素がつないでいるのかな?」との僕の問いに、どんどん答えてくれる、その速さと的確さ(正確さ)の、やはり見事だったこと。こうして生徒たちが出してくれた《鍵》をもとにレクチャーを進められたことは、なんというか、豊かだった。さらにシェイクスピア訳者の松岡和子さんまで大事なポイントポイントで加わってくださり、凄い連係プレーもでき、「ああ、みんなで作れた」と思いました。いわば《作品》のような授業だった。本当によかった。そう噛みしめながら自宅に戻ると、もう1時間後には誕生日だ、という夜でした。そして52歳になり、寝坊し、昼にデザート付きのランチを食べ、昼寝をし、起きたら執筆すべきセンテンスが浮かんでいたので、書き、来年に出す本のミーティングをし、それから電車に乗り、誕生日の夜、どんなご褒美を自分に与えようかと前々から考えていたプランのとおり、新木場で ASIAN KUNG-FU GENERATION を観、勝手にアジカンのみなさんの演奏に祝われている思い(←勘違い)にひたり、それ以上に「ただ音にひたる」という歓びがあり、終演後にはゴッチと話し、9月の北海道 TOBIU CAMP では大切な大切な朗読、朗読と融合する音、音と融合する(北海道という)世界が生まれるだろうなと確信でき、ミライミライをそこに運ぼう、と思えた。僕の小説の『ミライミライ』を読むのだけれども、それよりももっと、この先のミライミライを、と。さて52歳です。書かねば。
20180712