とても短い長いお便り第4回。しかし、しかししかししかし、それだけではないのです。この「お便り」が早、記念すべき第40回めだったりします。20周年記念サイトの2巡めみたいな#40、アニバーサリーですね。おめでとう俺、ありがとう俺。こんだけの量の文章を毎週書いてるのも結構「頑張ってますね」ものですが、すでに増量も4度め。年末まで続きます。そして疾走の、ある意味での佳境は、やっぱり来週いっぱい? 僕はもちろん以後も書きつづけるわけですが、いまのところ人前に出る予定って11月29日のブックファースト新宿店(朗読会「とても短い長い朗読」)と12月1日の明治大学中野キャンパス(シンポジウム「古川日出男、最初の20年」)で終わりです。年内はそれで締め。そこで気合いをさらに注入しようと、ブックファーストの朗読会では『とても短い長い歳月』のための特別テキスト=解説テキスト「28のフロウ」を配布することにしました。執筆済みです。この朗読会は、DJがミックスした本を、当人=作者はミックスして読めるのか? が主題になっています。できるんでしょうか、どうなんでしょうか。答えは当日に。ちなみに12月1日のシンポジウム「古川日出男、最初の20年」は、たぶん5時間ほど展開するのではないかと思います。まさに、うー、とても短い長いシンポジウムですね。いい午後になりそうです。どちらかの日に、あるいは両日でも、みなさんに会えるのを楽しみにしています。さて。
とても短い長い質問。
じつは目下、宇宙人侵略小説というのを真面目に構想しています。あ、侵略小説じゃないか。地球が襲われるんだから被侵略小説か。というか、いま《被侵略小説家》とまずもって誤変換されたんだけど、うー……俺の日本語変換ソフトウェア、その読み鋭し。たぶん僕の執筆時および朗読時における《被憑依体質》というのは……あ、違った、違いました、雑談は挟まないでいいんでした。とても短い長い質問なんでした。
あなたの国が、誰かに侵略されるとします。その時、あなたが以前から(あるいは無意識に)憎んでいる国や民族に侵犯されてしまうのと、予想もしなかったUFO軍団に襲われるのと、どちらがよいですか?
「よいですか?」というのは、どちらかを選ぶしかないとの選択を突きつけられたら、あなたはどちらに自分や同胞の《死》(や《死》の可能性)を預けるのか、ということです。
ちょっと考えてみてください。
とても短い長いポエジー。
昨日、写真を眺めていました。スイスの写真家の撮ったものです。普通、写真は「撮影する人」がカメラのレンズを向けて撮るのだから、これは小説で言ったら一人称になります。《私》が撮る、というわけですね。しかし、その人の写真は違った。その人の体付きからは、つまり本来的な目の位置からはズレた写真が多々あった。それらを見て、僕は「ああ、三人称の写真だ」と思った。では、二人称の写真はあるのか?
そう問いかけた途端、一匹の動物が、こちらを見返している写真を想い起こす。脳裡に。
そこには《あなた》がいた。そうだ、二人称の写真だ。
でも、人間が被写体の写真では、それを「二人称の写真だな」とは思わない。
それを「どうしてだろう?」とも僕は不審がらない。この納得が《詩》だ。
とても短い長い1日。今週の月曜日(2018年11月19日)がそうでした。朝から、あるミュージシャンの音のことだけを考えている。そして、心身の準備を調えて、昼、福島に新幹線で向かう。郷里である郡山市に。東京駅のホームで映像作家の河合くんと会う。彼も同じところをめざす。ライブも行なわれているバーを。しかし車輛は別々だ。じつは11月15日に「ただようまなびや 文学の学校」の事務局長である森彰一郞くんから連絡があった。遠藤ミチロウさんが膵臓癌で手術され、いま現在療養中であることを本日公表された、と。森くんは、ミチロウさんといっしょに「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げている。森くんはこのサイトに「私的古川論」(その題名も「日出男先輩」)を寄せてくれているし、付き合いは古い。そしてミチロウさんとは、会ってお話をさせてもらったこともあるのは当然として、それ以上に、その音楽を10代から聴いている。なにしろ、このサイトにも再録したコーナー名「絶賛過労中」は、ザ・スターリンの解散ライブの模様を収録したアルバム名「絶賛解散中」から採られている。そういうの、誰も気づいてないんだけど。郡山駅に着いた。新幹線駅構内で河合くんと合流し、改札前で森くんと合流した。バーの名前は Old Shep で、ここではミチロウさんも演奏をされている。そこで、何をするのか? 森くんから提案されて、自分が「ミチロウさんの歌詞を朗読する」のだった。Old Shep の店主の伊藤秀樹さんが、開店前のこの場所に、きっちり音環境を調えてくれていた(というか、収録後に店内で聴いたレコードの音=再生が凄かった。よかった)。この場所を撮影の場とするのを森くんといっしょに決めた Redd Temple の荒川淳くんも来てくれていた。初対面だったのだけれど。他に+αの私人というシチュエーションで、読んだ。河合くんが撮った。みなが聴いた。結局、普段は弾けさせない《パンク魂》を弾けさせた。そういうのは消えないんだな、という異様な反応だった。自分のそれが。ここでは3曲ぶんの歌詞を朗読して、そこには「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」が入っている。そして、これは今回のお便りを書いている11月22日という日付にイタリアで発売される雑誌なのだが、Passenger というその雑誌の日本特集に寄稿を頼まれて、僕は、「1960年代以降の日本の音楽(ポップ・ミュージック)」の12曲のプレイリスト、の筆頭にこの曲を掲げている。この原稿をイタリアに渡したのは10月15日だ。どういうタイミングなんだ、と思う。しかし、それは《よきタイミング》だと信じる。信じた。だから朗読した、そう、一匹のパンクスとして。その映像は、数日後に、動画「古川日出男 郡山にて 遠藤ミチロウさんアルバム『空は銀鼠』より朗読カバー」として YouTube にアップされる。朗読(そして撮影)が終わり、まずは Old Shep 店内で珈琲を飲み(伊藤さんが淹れたそれはとても美味しかった)、それからビールで乾杯し、それから街に出て、それから焼き鳥を喰らいながら呑み、みなで呑んで呑んで、それから、まだ東京で打ち合わせが一本ある、という河合くんといっしょに新幹線に乗り、そこでも呑み、都内の自宅に帰ろうとしたのだけれど、自宅のある駅を通過する特別快速の電車に乗ってしまい、ずいぶん遠くに行ってしまった。それから、戻る。どうにかこの日じゅうに、帰宅する。長い、長い1日だ。
あ、そうだ。その伊誌 Passenger の原稿はジャンルーカ・コーチさんが翻訳してくれているのですが、そのコーチさんもシンポジウム「古川日出男、最初の20年」に登場です。そして、発表は日本語です。アメリカ勢の発表も、全部日本語ですからね。ビビらないでいいですからね!
20181122