とても短い長いお便り第6回。ついに休日です。もしかしたら数時間後に予定が入る(入れる)かもしれませんが、とうとう「何もしない」日を迎えた。感動的です……。なんかもう、疾走しつづけて、俺ほんと大丈夫なのかなという日々でした。先月だけでも、連載小説『木木木木木木 おおきな森』の執筆を続けながら、作品集『とても短い長い歳月 THE PORTABLE FURUKAWA』の刊行を迎えて、その刊行のための準備をし(それがたとえば解説動画「とても短い長い宣言」と「とても短い7分間の余話(ホンネ)」ですが)、博多に飛び、『平家物語』のイベントをし、そのまま九州を南下し、東京に戻り、宮沢賢治について詩人の暁方ミセイさんと語り、デュエットの「小岩井農場」詩篇の朗読をし、『短い長い』の取材を受け、郡山にも行った、遠藤ミチロウさんの歌詞を祈りを込めて朗読した、それから、……いや「それから」を書こうとしたら異様に多すぎたのでザバッと端折りますけれど、月末にはブックファースト新宿店での朗読会「とても短い長い朗読」があり、そして文芸誌「MONKEY」の新連載にも着手して、第1回めの原稿を仕上げ、入稿した。あと、なんといっても11月は徹底的に人に会いました。結局、関係性も人種、国籍も様々だった。そして、後者の様々な属性の方々なども集ってくださったのが12月1日のシンポジウム「古川日出男、最初の20年」でした。これについては後で触れます。酒も相当呑んだし、いろいろ食べました。美味しかったのは長崎での、五島うどんでしたね。などという話はいいのか。そういうわけで、今日は休日です。昨夜も、ラジオ番組にゲストで出ることになっての収録というのがあったので(そのうち告知します)、ほんと十数時間前まで怒濤でした。今日は、まあ、考えてみるとこの文章を綴っているので執筆はしているのですが、いいんです、この《お便り》に関してはいいんです。届けたいから、届けているので。これはお仕事じゃないので。オフの今日、僕はここまで何をしたか? ラーメンを食べました。お昼にですよ! 執筆期間は、胃に血が行ってしまったらマズいので昼食にはラーメンは不可、禁じられているのです。その禁断の食べ物をですよ! しかも辛いラーメンの、辛さの度合いを1アップでオーダーしてですよ! ……って、何を騒いでいるのだ。今月は、って「今年は」って言い換えていいのか、今年は後、中篇1本を書き、評論1本に着手し、『木木木木木木』も連載1回ぶんを仕上げます。でもね、今日はオフなんだよ。夜には鍋でも食おうかな。
とても短い長い質問。これは素直に意見を聞きたいのです。お蕎麦屋さんで、「香水のきつい方は入店ご遠慮願います」的な貼り紙を見たのです。その後、街で、ある人とすれ違ったのです。その人は、強い香水をしていたんだけど、たぶん、そういうのは、人種的に体臭が濃いめだから、それを「よいもの」にするために香りをまとっているんだろうな、とわかったのです(その人は日本人ではなかったのです)。そういう人たちは、そのお蕎麦屋さんの戸口で、どうしたらいいのか? これは、お寿司屋さんのカウンターで「煙草を吸う方は、ご遠慮願い……」と言われるのとは違うな、と感じたのです。何か、へんな質問です。へんなことはわかっているんだけど、ちょっとモヤモヤしているので、あなたも考えてみてください。
ちなみに、そのお蕎麦屋さんはとてもいいお蕎麦屋さんだからこそ、僕は惑っているのです。
そして。
とても短い長いポエジー。
12月1日、中野の、明治大学のビルの、5階の、ホールの、そのステージでの。
映像作家の河合宏樹くんが、登壇者の1人となり、ある映像をプロジェクトした。大画面(しかもツインの画面)にフルボリュームの音響で。映像は圧倒的だった。その投影が終わった直後に、僕はステージにのぼった。そのまま朗読に入るために。その朗読の姿を、河合くんに撮ってもらい、ライブで投影してもらうために。河合くんがカメラをセットする。すると、恐ろしいハウリングのノイズが出る。
それを河合くんは止めようと、コードを抜く。
ノイズは止まる。
また投影のセッティングをするために、コードを差す。
音が、唸る。
これが繰り返されるなか、自分は朗読のために、本をセットし、ガラスの器を、水を、それ以外を用意する。
ノイズが、唸り、消え、唸り、消える。
ひとつの演奏が生じている。僕も河合くんも、そんなことは狙わなかったのに。
しかも会場の聴衆は、みな、その《アクシデント》に聴き入っている。
朗読のための支度は、ここに調った。このポエジー。
とても長い、長い1日。明治大学中野キャンパスでのシンポジウム「古川日出男、最初の20年」が催された12月1日は、24時間を遥かに超え、20年ぶんの過去に時には戻り、20年間に接続し、それぞれの登壇者の発表は20分ずつなのに、遥かに(その密度において)20分を超え、また、人数ですら増えているのではないかと感じた。
快晴だった。この日は。
いろいろと考えた末に、シャツを着、ジャケットを着用した。
そうした《恰好》は、もしかしたらどうでもいい。しかし、同じように熟考をする事柄があった。熟考の対象が。俺は、シンポジウムのお終いに、登壇者全員の発表に《応答》しなければならない。スタイルは自由、と言われていた。スタイルは自由で、全員に《応答》? 何をするか、この日の朝、ついにクリアにわかった。
そんなことができるのだろうか。
俺に、やれるのだろうか。
誰にも相談しなかった。真摯に、シンポジウムそのものに向き合うしかない。
1人めは、司会の管啓次郎さんだった。それは「司会」を超えて、すでに発表だった。管さんは、むかしむかし古川日出男が……生まれた、と語られた。
俺はメモを取り出した。恐ろしい勢いで、取り出した。思考を回転させた。
2人めは、これが発表の(公式の)1人め、となるのだけれど柴田元幸さんだった。
凄まじい霊気を放って壇上に立ち、古川と他者の言葉、のミックスを、超絶DJとして《演奏》した。しかも楽器は自らの声。
3人め、マイケル・エメリックさんだった。UCLAの。いっきに「古川文学とは、耳の文学だ」と断じた。笑いをたっぷり取りながら、切った。俺は切られた。
4人め、小澤英実さんだった。東京学芸大学の。最強の『ローマ帝国の三島由紀夫』論を、聞けた。もちろん、それ以外も。多々。死、生、小説の生。
5人め、ジャンルーカ・コーチさんだった。トリノ大学の。イタリアからの声をここ、中野、に届けてくださった。翻訳や翻訳家とは何であるか、も。翻訳家は霊媒である。俺はどうだ? 俺もだ、もしかしたら。
6人め、杉江扶美子さんだった。4年半前にはフランスのリール第3大学でお世話になった。俺が、講演と朗読会で。『アビシニアン』と『ドッグマザー』の、それぞれの冒頭が、解析されることでさらに生命力を増加させた。解かれて、しかし濃度を強める。その脅威。
もちろん、それだけではないのだが。
もちろん、何もかも、誰の発表も、ここにメモ程度に書けることではないのだが。
7人め。島内景二さんだった。電気通信大学の。というよりも『源氏物語』をほとんど《怪物的》に知る国文学者の。『女たち三百人の裏切りの書』と『平家物語 犬王の巻』は、一騎当千の援軍を得て、ほとんど不死の勢いを得た。そして課題を与えられた、俺は。刺激的な。とても刺激的な。
8人め。薩摩琵琶奏者の川嶋信子さんが、その楽器を携え、というよりも抱き、というよりも生かし、演奏されるのだけれども、それは全身が「鳴る」ことであって、川嶋さんの声がすでに琵琶であって、しかも、そこに古川の(そうだ、俺の)言葉が乗った。壇の浦が、平家が、鎮魂される。
9人め。ダグ・スレイメーカーさんだった。ケンタッキー大学の。そこに人間がいる、それから人間ではないものがいる、さらに第3の何かがいる。その何かは、なんだ? と、問いかけてきた。1を数え、2を数え、それから3を。答えなければならない。俺が。
10人め。谷崎由依さんだった。小説家の。あろうことか俺の作品との《出遇い》から語ってくれた。そしてまた、ここでも『アビシニアン』。そうだ、俺の3冊めの小説の、担当編集者の志儀さんも「小説でありながら完全な詩」(特別寄稿「最初の編集者の告白」より引用)と評した、あの『アビシニアン』。そして、作家としての俺の声の、多重性。複数性。
11人め。波戸岡景太さんだった。明治大学の。このシンポジウムに自らの20年を重ねた、突きつけた、照らした。そして「教師とは、何か。教えるとは」の主題へ。『4444』から『銀河鉄道の夜』までも。時間の、ではない、時間がもたらす相対性についても。それから数。それから魔術。
12人め。河合宏樹くんだった。映像作品を出す、とは聞いていた。それが、あれだったとは。昨年5月の、高知の、坂田明さんと向井秀徳さんと俺の、「平家物語 諸行無常セッション」の一部だったとは。しかも、この日のための超絶エモーショナルな編集。
13人め。13人めは、俺だ。
そして俺は何をしたのか? 俺は、河合くんのプロジェクションという援軍を得て、まず、朗読し(それは普通のパフォーマンスではなかった。しかし詳細は、うまく書けない)、それから、全員の発表の、その内容と、その間に俺が考えたことを《応答》として織り込みながら、俺は、不可能に挑んだ。その場で、《応答》の十数本から、小説を創った。口頭で。
ライブで、小説を。
小説を。
書いた。語った。「無理かもしれない」と思っていた。できた。1本の短篇が、語り出され、語り終えられ、生まれた。
奇蹟だった。
20181206