虚脱しています。どうして僕は虚脱しているのか? 脱稿したからです。予定枚数ほぼピッタリ、原稿枚数100枚ほどの巨篇、の評論がきっちり上がりました。今日はですね、それの入稿を終えてですね、いやー、もう……。虚脱ですよ、脱力! 正月休みはいっさい取らずに書いて書いて書いて書いて×∞(?)と続けて、しかしゴールはきちんと存在していたのですね。やったね俺。どういたしまして俺。まあ、こういうノリで綴れているのですから、内容に満足しています。これまでは「1000年スパンの日本文学」ということを考えていて、そのための作業(小説であれば『女たち三百人の裏切りの書』、翻訳であれば『平家物語』、さらに両者それぞれから次なるフェーズへ進めと命じられての『平家物語 犬王の巻』)をもう6、7年やり続けてきた。当然ながら、次に思考のターゲットとすべきは、プラス1000年かな、と漠然と思って、評論のタイトルも仮題時には『二〇〇〇(光)年の文学の孤独』にしていました。この仮題のもとに、えーと、メモを見ると去年(2018年)の1月中旬からさまざまな考察と調査に入っていますね。しかしまあ、この仮題はローリング・ストーンズの ‘2000 Light Years from Home’ からの反響で、この曲の歌詞にすでに「孤独」という主題が入っていますが、そこにガルシア=マルケス『百年の孤独』を重ねつつ、時間性に空間性を、と思っていたのだけれど、なんか谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』という素晴らしい題名に近すぎたりすっかなー、とか悩んで、あ、そうだった、僕は谷川さんご本人の前でこの詩(「二十億光年の孤独」)を朗読したことがあります、それはさておき。そういう、いろんなことを考慮? 配慮? していたら、思いがけないタイトルが降ってきて、「それだ!」と。そのタイトルのもと、年末年始、没頭しまして、書き上がったんだなあ。凄い戦いだった。未来へ1000年、という単純さは排して、もっと、もっと違う角度、異なる次元から、日本文学を見据え、また黙示も孕ませました。とんでもない事故が起きない限り、来月、「読める」形になります。詳報は後日。そしてまあ、本日は休憩です。……少しだけ嘘。明日の準備をしています。まあ心の準備? だって明日からは、連載小説の執筆。また没入です。しかし俺はきっと、やるでしょう。やらんとね。結局ね、面白いんだよ。俺には、本が、そういう世界が、面白い。好きだからやってるんだなあ。ここだけを判断の軸に。ピース。
20190110