ゲラ期に入りました。ジュラ紀に入ったわけではありませんよ。氷河期でも。昨年の暮れから今年に入って書いた原稿の、そのゲラ(校正刷り)が、どんどん出始めてきたのです。よーし頑張って見るぞー、ということです。ここのところ1日に平均して数百頁は本を読んでいますが、ここからは「自分の文章」にその時間を食われる、というか蚕食されるので、けっこう気を引き締めています。だって、自分の文体に感染しちゃったら、なんか自家中毒ですからね。ほら、牛が廃棄処分された牛の脳味噌を自らの餌にして食べさせられて、じつに大変な問題が生じた時もありましたからね。しかしゲラ期の最中にも、週末は日帰りで東北に行ったりするのであった、僕は。という奇妙な文体で綴る予定はさておき、まずは朗報、感謝を。昨年9月に「新潮」誌に発表した戯曲『ローマ帝国の三島由紀夫』が第63回岸田國士戯曲賞の最終候補作品に選んでいただけました。本当に……嬉しいです。ひとりの《劇作家》として書いた戯曲が、きちんと《劇作家》の方々のレースに加えていただける。しかし、と同時に、結果はどうなるのでしょうね。ドキドキですね。高校時代、僕はけっこう岸田賞受賞作を読み漁っていて、相当に感銘を受ける作品多々だったので、岸田賞、との響きは特別なのです。とはいえ、できることは待つことのみであって、待っている間に自分が何をするのかと言えば、読み、学び、考え、書き、の4要素。まあ作家としての4要素? となるのかな。これだけなので、平常心でそれらをします。そういえば「学び」の要素を教わる人たちの「学び」にも拡げたのが、2年前の《UCLAで先生》時代で、その記録を、なんと! このサイトの「ちいさな回顧展」に出展しました。当時のドキュメントは柴崎友香さんが「特別寄稿『私的古川論』」に書き下ろしてくださった感涙の名文「声が語ること」にもありますが、その記述と照らしてみると、なんとも興味深い……といいですね。まあ、ここで僕が言いたいのは「学び」は大事だな、ということであって、いつもいつも痛感しているのですが、やはり自分は無知です。そして、いつもいつも「ゆえに、お前は努力しなければならない」との命令を受けます。努力せざるをえない、から、努力する。シンプルな原理であって、アスリートなら全員理解しているようなことです。ところで4要素の筆頭=「読み」に関して、たとえば僕が「あなたが今から読まねばならない本は何冊ありますか? リストアップしてください」と質問を受けたら、まあ、ざっと1000冊は挙がるわけです。未読か、読み直したいタイトルがね。そして、それを生きている間に全部読めるのか、は不明瞭なわけです。そして、そんなにも本があるのに、自分はさらに書かねばならないわけです。ここに1000冊の本がある。そのうえで、自分は1001冊めの本が書けるのか? 1001冊めに値する本が産めるのか? 「無理だ」との声と「無理だから望む」との声が同時に湧き、すると自分は、書き、読み、学び、考え、また書き、読み、学び、考え、またまた書き、読み、学び、考え、またまたまた書き、そうやって満たされます。そう、ここにも喜びがある。ところで岸田賞の発表は、ドキドキですね。怖いから当日は携帯電話の電源切っちゃいそうだな(←やめろよ俺)。
20190124