ふたたび、誕生の猶予

ふたたび、誕生の猶予

2022.02.12 – 2022.02.25 東京・埼玉

私の新刊小説『曼陀羅華X』の発売が延期された。

配本日は今日だった。つまり、この2月25日には東京都内の書店の幾つかに、夕方であれば、並ぶ、という状況が調っていた。しかし22日の午後に担当編集者から連絡があり、私は、調った状況が「荒れた」という事態を知った。

その時の心情を、ここで文字でもって再現することは、到底できない。たまたま友人一家が遊びに来てくれていて、彼らが私の姿を(電話応対する現場をも)見てくれていたから、奇蹟のように何かを抑えることができた、とだけは記せる。しかも、彼らは、雉鳩荘にオリジナルの表札を設置しに来てくれていたのだ。流木と陶板とを素材にして、なにより雉鳩のロゴを添えた、すばらしい(愛らしい)表札を。友人一家のミホちゃんがそれを制作してくれた。

そういう日でよかった。

状況の詳細はここには記録しない。『曼陀羅華X』の発売は、延期、なのであって、中止ではない。やり直すしかない。私にはたっぷりと言い分がある。しかし、私という作家は要するに「個人」であり、出版社は「集団」だ。これらはまったく別の単位だ。私は、「集団」に対して「個人」に何が為せるか(あるいは為せないか)をまさに『曼陀羅華X』の主題にした。その実践が、発売前に起きたのだ、とも言える。あるいは「誕生する前に、それは起きたのだ」とも言い換えられる。

いま、手もとにある『曼陀羅華X』の単行本を開くと(そうなのだ、もう完成した本は、私の手もとに何冊もあるのだ。なのに。なのに……)、奥付は「2022年2月25日」となっている。2月25日、というのは、作中にも出る日付だが、私の作家史においても重要であり、私は1998年2月25日に小説『13』でデビューしたのだった。

つまり、24年前の今日だ。今日は、デビュー24年めの、その1日めだ。

私は依然として、このような泥地で、闘っている。どろどろに裾を汚しながら、しかし立っている。

発売は、延期なのであって、中止ではない。このフレーズを繰り返す。私には「産まねばならない」という責務がある。