この「時代」というもの

この「時代」というもの

2022.06.25 – 2022.07.08 東京・埼玉・静岡

私はいま、この「現在地」を今日綴るのはいやだと感じている。ほんの1時間前にその号外のニュースを受信して、だからいやだなと感じている。しかし書いてみる。私の雑誌連載中の小説『の、すべて』は、前回のエンディング部分で、著名な政治家がテロに遭うというシーンを書いた。その詳細を、物語はこれから描出するはずだった。けれども、今日、元日本国首相が銃撃テロに遭って、その死去の報を(号外として)受けたばかりの私は、いったい何をしていいのかわからない。

私はいま、ちょうど『の、すべて』の続きを書いている。それも没頭して書いていた。私はいつもいつも、何事かを予言する。そして、そういうことができるからって、何ひとつ得をしなかった。私に言えることは、日本はおそらく先進国の地位からはすでに滑り落ちていたが、本日をもって、さらに暗い、どうしようもない情勢(国勢)に突入したのだなという1点だ。それを「時代」と呼ぶのか? 人びとがどのように鬱屈を抱えるにしろ、それは暴力に転化されてはならない。なぜならば、そんな行為は「幼い」からだ。

ここまで私たちは幼稚になってしまったのか。私たちは、日本は。

以下に、それでも私がやることを記す。そして、やったことを記す。イタリアから帰国して、時差ぼけが治らなかった。5月にはアメリカ西海岸、そして先月にイタリアと、異なる時間帯を何度も往き来したことが、私の体内時計をいじり続けていた。だが、だからこそというか、そういう〈時間〉の内側で、いつもは跳ぶことのない詩の世界に跳んだ。長篇詩を書きつづけた。私が書いたのは1篇の詩なのだけれども、しかし1000行ほどある。そして、この長篇詩は、年内に本としてリリースされる予定だ。初めての詩集、と呼びたいところだが、1篇しか収録されていないのだから詩集とは言えないだろう。どう形容したらよいのか?

私はこれまで、たとえば「雑誌に詩を連載してほしい」というオファーを、10年ほど前に断わったり、だいたい詩の仕事は拒んできた。いちども書いたことがない、というのは嘘だが。小説内であれば何篇も書いているのだし、そもそも「あなた(古川日出男)の小説じたいが、詩だ」と評されることも多いから、それでじゅうぶんだと見做してきた。だが、人生に〈じゅうぶん〉などない。と私は考えるようになってきて、だから挑戦した。詩は、当たり前だが小説とはぜんぜん異なり、私に「別の角度から」世界と対峙するよう命じつづけて、そういう格闘が結果としてどうであったかと言えば、有意義だった。豊饒だった。いずれにしてもこれは、私の、処女詩、なのだろうと思う。

私はまだデビューできるのだった。言い換えるのならば、私はまだまだ再出発できるのだった。

そのことを私は日本に言いたい。

2011年の暮れ、私はサンスベリア・キルキーというリュウゼツラン科の植物を買った。渋谷区の富ヶ谷にある花屋で出会って、購入した。当時の杉並区の自宅まで、手で運んだ(バスには乗った)。そして、昨晩気づいたのだけれども、このサンスベリア・キルキーがいま花芽をつけている。この雉鳩荘の暮らしにも馴染んで、購入からほとんど11年後に、初めての花をつけている。雉鳩荘には、たとえば私が1992年からいっしょに暮らしている植物もいて、その頃は私は渋谷区の幡ヶ谷に住んでいた。この植物をベランダに出しっぱなしにしていた。その後、4度の転居があり、すでに30年が過ぎて、こいつは3メートルほどに成長して、雉鳩荘のダイニングの天井に付いてしまった。その天辺の葉っぱが。

そこまでいっしょに生きたりできるんだということを、いっしょに生きられるのが当然なんだぜということを、私は今日は、言いたい。

私は挫折せずに、まだ書きつづける。『の、すべて』も完結させる。