雉鳩荘が完成する

雉鳩荘が完成する

2022.07.09 – 2022.07.22 東京・埼玉

2週間か3週間にいっぺん、こうして「現在地」を綴るというのは奇妙な営為で、というのも書いている時の感情は、私のその、2週間だの3週間だの全部を反映することは決してない。執筆の当日の、その執筆の時間帯の感情、がもっぱら反映される。とはいえ、もともと現在とはそういうものかもしれない。たとえば私は、さっき、何時間かかけて元首相の銃撃と殺害にも関係する短い論考を書いていた。それを書きはじめようとしている瞬間、書きあげた瞬間、それから、むしろ書きあげるために今日は奮闘しようと目覚めた直後の十数分間、ではだいぶ私の〈感情〉は違っている。にもかかわらず、それは全部、今日のことだと言える。大雑把に言えば〈現在〉のことだと言えて、そうやってひろげて考えれば、2週間や3週間はやはり〈現在〉に含まれるのだろう。

その〈現在〉の間にひとまず雉鳩荘は完成した。その屋内が、おもに、である。そこにこんなものが(写真が、文字が)掲げられていたら、と願った品々が、ついに完成して、じっさいに掲げられた。仕事部屋の最終パーツが揃った。あとはこの屋内と、それから当然ながら屋外、を暮らしつつ育てつづけるだけである。友人にはこうして完成した雉鳩荘のことをシン・雉鳩荘と言ったのだけれども、これを正式名称にするつもりはない。関係ないのだが、私はふたたび『源氏物語』にがっぷり組んだ仕事がしたいと思うことが時おりあって、身近な人間に「よし、『シン・源氏物語』って命名したら、いけるんじゃないか!」と吠えてみたら、黙殺された。というわけで、そういう奇策に頼るのはやめにして、静かに「現代語訳『紫式部日記』」戯曲『あたしのインサイドのすさまじき』がどういう形でかスポットライトをまっとうに当てられる場面を夢見て、けれども直球的に自分の〈源氏〉作業が補完される日に向けてコツコツ進む。まあ〈源氏〉作業というか〈式部先輩〉作業なんだけどさ。

この〈現在〉の間には私の誕生日もあって、楽しかった。予定を何も決めなかったのだ。そうしたら、連載小説『の、すべて』用の資料とこの秋から起動する新しいプロジェクトのための資料を、お昼までにはガリガリ読むという選択がなされて、うわあ真面目に仕事してんなあと本人的にも驚いた直後に、あの街に行き、その街で下車して、そこの街から長距離歩行を開始して、飲み物と食べ物をあそことそことここで購入して、ということをやって、気づいたら素晴らしいディナーの材料を抱えて雉鳩荘に戻っていた。狙っていたケーキは訪れたパティスリーが閉まっていて(月曜定休だった……)手に入れられなかったのだけれども、本当に幸せな夜だった。たしか思いがけない音源をずっと食事中にかけていたのだけれども、何を聞いたのだったか、どうしても思いだせない。

こうやって〈現在〉のことを書いているのだから未来と過去の話もする。未来というのは、「来年の2月25日には、わたくし古川日出男は作家デビュー25周年を迎えます」だ。このウェブサイトは20周年記念に期間限定としてスタートしたのだけれども、「えーっ。アニバーサリー・イヤーが終わったら、閉じたり……しないですよね?」の声を受けて、クローズをやめた。その後、増設モードで現在に至る。で、このサイトは、25周年を迎えても閉じない予定である。たぶんフルのリニューアルとかもしないと思うのだけれど、ちゃんとここ(「古川日出男のむかしとミライ」サイト)で来たるアニバーサリー・イヤーを祝福したい。

では過去の話を。この「現在地」の原稿を書いている時点の、翌日でもって、東京オリンピックの開幕から1年が経過する。これはまさに開会式当日にアップした「現在地」で書いたことだが、私はその日は国立競技場のかたわらに(も)いた。それは小説の取材のためだった。それは『太陽』と題されることになる、雑誌「ことばと」に掲載されることになる短篇小説の、直接的な取材のためだった。私はその短篇『太陽』をもって、東京オリンピック2020とその前後の時期の日本をまるごと記録する、ということを試みようとしていた。それはたぶん達成できたのだけれども、それにしても雑誌に読みきりで発表された小さな作品、というのは、どの程度の数の人間に読まれて、どの程度、のちのちに残る可能性があるのだろう? それを思うと、先走って無念になる。短篇の執筆依頼や、中篇の依頼というものは折々あって、私も、その挑戦が有意義だと思うと挑むのだけれども、あまり「中短篇集を編みたい」という声は(折々も)ない。

そうすると、もったいないなと思う。たとえば私が2019年に LOKO GALLERY で行なった画廊劇『焚書都市譚』は、文芸誌「すばる」に発表された同名中篇に基づいていて、これはその頃の、安倍政権下の日本、東京オリンピックに翌年には到達すると信じている日本、今後の世界にパンデミック的な悲劇は起こるはずもないと考えている世界、をかなりシャープに描いている。こういうのも、どこかで本にまとめたほうがいい。なぜならば、それはやはり、〈記録〉だからだ。私たちの大半が、今日や明日、「いやあ、東京オリンピックのあの時は、ホント壮絶だったなあ。忘れられないぜ」と言い交わしあえないように(「あえないように」だ。否定だ)、すべては忘却される。だから〈記録〉しておかなければならないのだ。

私の小説には、しばしば細かい日付が出る。何年何月何日、と入る。それはもちろん〈記録〉するためだ。その文脈において、私は自分の全作品を通して、巨大な「年代記」を編んでいるのだとも言える。しかも私は、この10年弱、そこに古典期(とは古典の産み落とされた過去の意味だ)の日本の日付をも、足しはじめている。私はこの私のささやかな能力のつかみうる全部を、全部を全部を全部を、記録しておきたいのだ。