ひらきはじめる

ひらきはじめる

2022.08.13 – 2022.08.26 東京・埼玉・京都

とても光栄だったことの話をして、それを誰か(とは、このサイトを訪れているあなたである)と分かち合うところからスタートする。私の『ベルカ、吠えないのか?』『サウンドトラック』『中国行きのスロウ・ボートRMX』a.k.a.『二〇〇二年のスロウ・ボート』のイタリア語の翻訳家であるジャンルーカ・コーチさんが8月15日に「イタリア全国翻訳賞」を受賞された。メールに「特に古川さんの『ベルカ』の翻訳が褒められたのです」とあって、私は添付されていたイタリア文化省の文書(文化大臣のお名前のもとに書かれ、発行されている)を読んだら、まあ読んだといってもイタリア語には何も通じていないので機械翻訳にかけただけなんだけれども、私というか古川日出男のことをどうも「偉大で革新的な日本人作家」と言ってくれているようで、正直びっくりした。

そんなふうに思ってくれる人や、国があるならば、まだまだ頑張れるなと、やっぱり感じるのだった。ちょうどその日は、関東に上陸した台風のこともあって2日半ほど雉鳩荘から一歩も出ないで書きつづけるということもした連載小説『の、すべて』の次号ぶんの脱稿日で、小説の作品世界に完璧にダイブできた、との実感を携えながら現世に戻ったら、そんな文書が届いていた、しかも異国から……という、不思議でありがたすぎる錯綜感にひたれたのだった。

私は前回の「現在地」を執筆した8月12日から今日(8月26日)までのあいだの2週間に、まあ半端ではない量の仕事をしているのだけれど、この2週間はむしろ、「雑事に追われる」のではなくって、「本業が道をひらきはじめる」ような感じをしばしば持った。しかも、まずは脳がひらいて(それはパカッと開いたりするのだ)、その後に道がひらいてもくれる……という流れだった。イタリアがらみで言えば、この初夏のイタリア体験も素材として組み込まれている長篇詩のゲラというのも集中して見た。ゲラが出ているのだから、これは本になる。その本の装幀を、私は自分のさまざまな課外活動で大いに力をもらった2人に頼んだ。当然、そうなると2人はまだ本になっていないその長篇詩の原稿を〈本〉として読むわけで、それは幻視でもあるのだけれども、だが、やはり〈本〉はもう誕生しているのだとも断じられる。実際の刊行はまだなので、いまは「すでに〈本〉はあります」とだけ告げる。

私はこの2週間という期間のうちの数日を京都で過ごすことに決めていて、それは〈取材〉のためだった。いまだ存在していない原稿、いまだ存在していない書物のためのだ。その、旅立ちまでのあいだに、びっしりと仕事をこなしながら、だけれども「まだ新しいものを執筆する」「次の〈本〉はすでに幻視されて、動きだしている」と感じつづけていたら、前述した「脳がパカッとひらきはじめる」ようなことが続々と起きた。もっと書きたいものがあり、もっとやりたいことがあるのがわかった。私は、やはりノンフィクションの『ゼロエフ』以降、ただのフィクションを執筆することに怯えている。私の存在というのはこの世界にはどうでもいいのではないか、とか、私の想像力はもはや誰をも刺激しないのではないか、それゆえ世界は1ミリも揺るがないのではないか、とか、相当にきつい感覚に襲われつづけていた。しかしながら開いてきたのだった。パカッとだ。

その、開きはじめている、という体感を抱えながら、京都に入ったら、出会う場所場所(=〈場所〉のn乗。nは2以上の自然数)が創造的だった。土地土地(=〈土地〉のn乗)がこちらを凝視していた。n乗って、私はいったい何を書いているのだ? 要するに昂揚したのだった。私は対話する相手を決めていて、それは大切な方々のアレンジがあって実現したのだけれど、その対話の相手との時間は、穏やかで、深い、そういう意味での〈京都〉だったし、その後に数名でご飯を食べていても、ゆったりと創造性は膨らんでいった。

ある地域では私はぶらんこに乗った。その体験のことや情景のことを、いずれ私は書くのかもしれない。でも、書かないだろうなと直感する。そのぶらんこのことは、きっと触れない。他のぶらんこは、いまも、これからも、いっぱい登場するのだろうけれども。私の文章に、これからの私の〈本〉にだ。ぶらんこは、それをひとつの概念として捉える時は、どれも共通する。だけれども、具体的に存在するぶらんこのひとつひとつが、ぜんぜん異なる。私は、洛中から相当に離れたところにあったそのぶらんこに、何かを託し、いまも、そのぶらんこから空を見上げた自分自身を、その場所で〈漕がせつづけ〉ているのだと感じる。

見上げろ、見上げろ、見上げつづけろ。