人間には小説は書けない

人間には小説は書けない

2022.08.27 – 2022.09.09 東京・埼玉

さっきまで私は電車に乗っていたのだけれども、たまたま最後尾の車輛に乗り(飛び乗ったのだ)、たまたま進行方向とは逆向きに、ドアぎわの、あれはなんというのだろう? パネルのようなところに寄りかかって、乗務員室を見ていた。実際には、乗務員室を透かして、その向こう側を眺めていた。つまり線路が後方に後方にと伸びつづける情景、をだ。その電車の走る路線は住宅街をつらぬいているので、最後尾の車輛から後ろ側を眺めつづけていると、ハッとするような規則がつかめる。電車が、ある場所を抜ける、その〈ある場所〉というのは踏み切りが設定された箇所だ、すると、ただちに踏み切りのゲート(遮断機)は上がって、すると、右から左から、人びとが湧きだす。

それが繰り返される。私を乗せた電車が、その車輛が、抜けたという瞬間に、ほぼ直後に、視界の左右で上昇し出すバーがあって、続いて人間たちがあちら側とこちら側から、線路の上に出てくる。それが、少し経つと繰り返されて、少し経つと繰り返される。ひたすら住宅街を直線に走っている線路は、ほとんど規則的にこの光景を……いいや、光景というよりもシークエンスだろうか? 産み出して、私に見せるのだった。こんなことは、もしかしたら鉄道ファン等には〈常識〉なのかもしれない。が、私は初めて、今日それを知った。数十分前にだ。正直に言って、私は感動した。そうした「美しさも感じられるシークエンス」を、いままで自分が知らず、それは連日きっと世界中の至るところで反復されていて、でも、とにかく私は齢56にして、それを知ることができたのだ。

8月の終わりに10キロか12キロか歩いてみた。そうしたら猛烈にへばった。驚いた。私はおととし、荷物を背負って26キロから30キロの距離を歩ける身体を作っていて、それはもちろん『ゼロエフ』に結実するプロジェクトがあったからなのだけれども、あの行動はつい先日のことのような気もしていて、しかし違うのだ。ぜんぜん違った。あの時期には徹底的に肉体を鍛え上げていたからこそ、私はそれができたのだった。衰えるというのは早い。そして成長するのは遅い。これは肉体面でもそうだし、きっと頭脳面、精神面でもそうだろう。

来週から、たぶん複数の企画の情報公開や、今年に入ってから作業したのだけれどもそれに関してひと言も語っていなかった企画が公けになり出したりする。それで、その一部のプロジェクトのために、私はふたたび肉体をきちんと鍛えに入った。これは筋トレを再開させたということなのだが、ここのところは仕事が立て込んでいて、だいたい1日に16時間ほどは「やること」があるので、そこにトレーニングまでぶち込んだ、ということになる。しかし、やるしかない。あんまり詳しいことは書けないのだけれども、私はどうも、最近は「いい子ちゃん」をしなければならない状況が多すぎる気がして、それは自分という文学者の表現的にどうなのだろう、とも思い出した。要するにもう、パンクでいいや、ロックでいいや、ということである。なんだかよくわからないが頭にきたりもする。「俺に『いい人』ばっかりさせてんじゃねえよ」的な。いや、私はいい人なんですけどね。でもね、表現って乱暴でナンボでしょう。

ここのところは連載小説『の、すべて』の原稿に没入していることが多い。久々にある〈感覚〉につかまれている。それは、人間には小説なんて書けない、という実感だ。人間に書けるような小説は、要するに単なる商品だ、単なる工芸品だ。私は、どうも「小説に書かされている」のだ。この世には、そういう作品がある。その作品が私を書き手に選んで、私を行使している。たまには(しょちゅう?)私を酷使する。それでいい。その地平に至らなければ、商品を超えた小説、すなわち芸術は生まれようがない。

東京・お台場の観覧車が8月31日に停まった。営業を停止した。私には掌篇「台場国、建つ」という作品があって、これは掌篇集『gift』に収録されている。そしてお台場の観覧車が舞台になっている。書き出しはこうだ。〈大自然というのはじつにバイオレントな存在である。/およそ気象学者にも海洋学者にも説明のつかないかたちで、天変地異はいっさいの前ぶれもなしに臨海副都心を襲った。複合的な原因が(それはいまだに解明されていないが)東京湾の水位をいっきに上昇させた。恐ろしい波濤がうちよせて、テレコムセンターを、船の科学館を、東京ビッグサイトを、ホテルグランパシフィック・メリディアンとホテル日航東京を洗った。有明西埠頭公園と青海南埠頭公園、それから潮風公園が数分で水没して、つづいて、人工の島で形成された通称「お台場」の全域が海面下に没しようとしていた。/観光地「お台場」のランドマークであり、全国から老若男女を参詣に呼び寄せてやまなかった大観覧車は、沈んだ土地にとり残された〉……そして乗客たちのサバイバルが始まる。

この掌篇は韓国語とフィンランド語に翻訳されている。この掌篇は「ネイション・オブ・オダイバ」という不思議なタイトルで、「小説すばる」誌に2001年に掲載された。そして、この掌篇は2011年の東日本大震災以降に読むと、まるで異なる文脈に置かれる。津波、残された人びと、サバイバル。そして愉快な希望。

希望なんだよ、しかも、愉快な。

いつもいつも、私は思う。いまいちど、過去の作品を読まれるようにならなければならない、と。そのためには私はパンクにでもなんでもなろう。やれるところまでやる。それだけだ、言えるのは。こうなった以上、有言実行である。