ここまでは来た

ここまでは来た

2022.10.29 – 2022.11.11 東京・京都

渋谷のライブハウスWWWで、私と坂田明さんと向井秀徳さんの5年半前の共演を収めた映画『平家物語 諸行無常セッション』の先行上映があり、と同時に、私たちは5年半ぶりのセッションを行ない、それは「皆既月蝕セッション」と名づけられた。満月の夜の、皆既月蝕の時間にまともにブツかる舞台だったからで、かつ、この皆既月蝕には天王星蝕が重なった。まあ、そういうことは、誰だってニュースで知っただろう。誰もが知ったわけではないことは、この夜にWWWで起きたことだと思う。

私はどこまでも徹底的に準備した。それは、坂田さん向井さんとの打ち合わせだったり、リハだったりしたのだけれども、これは向井さんに求められた「ストーリー」でもあった。いったい、なぜ、何を、われわれはいま、するのか? この日の『平家物語』の記念的なイベントに、直接的には平家はやらない、と決めた。しかし、それはつまり、間接的ならば平家に本気でアプローチしてぶつかってよい、ということでもあった。だから私は、平家物語を語ったことになっているフィクション内の琵琶法師、耳なし芳一に焦点を絞った。

ここから先は、それをどうテキスト化したのかとか(私はラフカディオ・ハーン=小泉八雲の原文を訳すことから出発した)、八雲とその妻、節子の「やりとり」から耳なし芳一の物語の原話にどう迫ることにしたのかとか、そして、朗読イベント内でどのように芳一に『平家物語』を語らせたのかとか、そういう話になるのだけれども、まだWWWのこのイベントは配信のアーカイブで数日間は観られるので(11月15日まで)、できればそっちで確認するか、観直すかしてほしい。こういうことは、そんなに演者そのものの口から、こんなライブ直後に語ることでもない。私に言えるのは、あの夜は、あの「皆既月蝕セッション」は、これまでの朗読キャリアのなかでも別格だった、ということだ。私は本当に坂田明先輩が好きだ。私は本当に This is 向井秀徳に惚れ惚れする。スッゲーひとたちだなあ、と思う。で、私は、そのひとたちと「がっぷり四つ」というのを、本気でやった。こんな幸福って、ないんだよ。

だから違うことを、でも大事なことを語る。たとえば会場のWWWは、以前は映画館だった、ということ。そこに再び映画『平家物語 諸行無常セッション』が上映されて、そのライブハウスは以前の映画館に、ある意味で亡霊的に戻ったということ。そのスクリーンから「生身の演奏者たちが出現するのだ」と語ったのは向井秀徳で、その生身役を引き受けたのが坂田明で、ゴーストが肉体を具えるとはどういうことか、がそこに現前化したのだけれども、かつての映画館が現在も映画館に戻って、かつ、現在のライブハウスにも同時に戻る、という多層化をなしていることを、これは音響も照明も実現させていたということ。あと、客入れの音楽はロバート・ジョンソンだったけれども、そこには自然音が重なり、ロバート・ジョンソンは草葉の陰から語ってくれていたこと。なぜロバート・ジョンソンなのか? そこに〈クロスロード〉の伝説というものがあって、つまり「X(クロス)」だけれども、それは転倒させると「十(じゅう)」だ。そういうことは、私は自著の『曼陀羅華X』で書いた。世界が皆既月蝕になるとは、すなわち転倒することだ、ということ。

私はもちろん、そういう文脈は、ちゃんと、ちゃんと入れたし、それぞれの役割を担った人たちが、それぞれに深く咀嚼して、そうして、あの夜、あのステージは誕生した。私は決して勢いだけでなんて、ものは作らない。いつだって精魂込める。いつだって、この、ちっぽけな魂を、込める。私に言えるのは、観逃してしまったんならアーカイブを観てくださいな、ということ。

そして今月は、初の詩作品『天音』が出る。1007行の私の、長篇詩、が出る。

私はここのところ京都に行っているが、それが新作の原稿のためで、その原稿は、まず初回が7日後の締め切りなのだけれども、今日(2022/11/11)、先月のうちに書いていた全部の原稿を棄てた。このレベルでは駄目だから。そのために、あと7日しかないのに、私は100枚は書かなければならない。そんなことができるのか?

できない、とは言わない。書けない、とも言わない。

書いてみる。誰かが私のことをちゃんと応援してくれている、ともわかったから、まだ前進する。