疾駆している

疾駆している

2023.01.28 – 2023.02.10 東京・兵庫・埼玉

いったい何が起きるのか、自分に何ができるのかがイメージし切れなかったので、あまり告知をしなかったのだが、早稲田大学で行なわれた「ここにいた」では、自分なりにこのイベントの趣旨を形にすることができた。そのイベントの会場は、通りから階段で下り、地階から構内に入り、さらに螺旋状の階段を下って、劇場的なホール内の座席に導かれる、という構造(動線)になっていた。開場後、イベントがスタートするまでの1時間のあいだ、来場者は小田原のどかさん、筧康明さん、藤幡正樹さんの展示を見てまわれる。そして開演となると、プレゼンテーションのトップバッターは私で、私は何をしたのか?

劇場のステージの、その奥に、投影される映像がある。そこに私の背中が映っている。私は、通りから階段を下りて、地階から構内に入る。それをカメラが追っていて、その映像と、それから音声が、ZOOM 経由で会場に投影されている。私は筧さんの展示に絡む、私は螺旋階段を下りながら、朗読するテキストを〈霧散〉させる、鋏で切り刻んだのだ、私は朗読しながら、藤幡さんのアート作品の映像と絡む、それからホールに入り、小田原さんの著作を読みながら、小田原さんの展示に絡む。そしてステージ上にあがり、その中央にはスポットライトがあって、その光柱の内側に入るのだけれども、しかし何もしない。私は、ステージ奥に映る私(それは、映像の中の映像の中の映像の中の映像……と無限に続いている)を眺めて、挨拶して、あとは去る。照明が消える。

私は「ここにいた」。

そういうことだ。これは15分間のアート/文学作品であり、それを実現・出現させてくれたのは、河合宏樹くんの撮影力でもある。また、この日の舞台監督的な役割の照明家は、なんと(当日の終演後に判明したのだが)私が19歳、20歳の頃に、私の演出する演劇作品幾つかのライティングに関係していた方だった。驚愕! その再会には感激した。なにしろ35年以上が経過している。しかし、こういうことがあるのだ。こういうことはあるのだ。まだ生きつづけるほうがよい、と私は私に戒めた。

戒めた、のであるから、私は若干弱気にもなっている。なにしろ時間の足りなさが半端ない。1日が72時間だったらよいのだろうか? 私はいま現在進めているプロジェクトの、どれひとつ手を抜いていない。かつ、執筆に関しては、準備するものをしっかり準備しようとしている。だが、ある原稿を書こうとすると、その原稿のために読まなければならない本は、だいたい7冊はあるのだ。それで私はどうしているのか? 私は読んでいる。

関西に行き、3日と半日、すばらしくクリエイティブな時間に身を置いた。そこでの私は、ただ耳をすますことと、物語を編んだ人間であることと、演出する人間であることのみっつの軸に、ガシリと自分を嵌めた。エンジニア(兼演奏者)の背中を見つづけたのだが、たぶん執筆している最中の自分の背中に酷似するのだろうな、とある瞬間、悟った。それは大きな学びであり、自分が「書いている人間」であることと「動いている人間」であることをどう制御していけばよいのか、ほんの少し、わかった気がした。

『の、すべて』を書いた。とうとう、ある地点に至った。あとは、私は、200枚以内の原稿を書こうとしているだけで、それを、可能であれば50日以内に終わらせたい。できるのか? しかし、この問いには意味がない。できないにしても、やる。やるだけなのだ。

パンオペを疾駆させようと、足掻いている。『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』をだ。時どき自分の呼吸が浅い。こんなものでは駄目だ。もっとだ。もっと巨大な視野だ。この作品に、フックはかかっている、それは抜けるはずがない。今後は私が、このパンオペのナビゲーターの〈僕〉として、やり抜けるかが肝になる。古川日出男が古川日出男を〈僕〉として語る、という点だけでも、ここには私の挑戦がある。

私は、今回の「現在地」には沈鬱なトーンを添えているが、しかし時にアガり切っている。どんどん言葉を出す。どんどん体を張る。私は、こうなった以上、どの本も「これは遺作なのかもしれない」と思って臨む。それはもちろん、遺作になんぞしてたまるか、と意を決しているからだ。私は、どの朗読のステージも「これが最後のステージなのかもしれない」と思い切る。まずはその(真正の)思いでもって、2月19日の MATSURI SESSION に臨む。